flight-07
四ヶ伍七見と左目の呪い
「俺と宗市は双子として生まれました」
足立浩市は、未だ苦い顔で俯いている宗市に背中越しの視線を注ぎながら語り始めた。
「物心がついた頃にはもう俺たちは自分達の能力を知っていました。俺には宗市が送信しようとしているものが感じられたし、宗市もそうだった。感じたものを"呼ぶ"事で物体が移動する。テレポートという言葉を知ったのは随分後になってからでしたが、俺と宗市は自分達が他の人間と違うという事はよく判っていました。だからなるべく目立たないように過ごしていたんですが、」
浩市はそこで暗い息を吐き出した。
「運が悪かったんです、俺の」
弟よりもやや華奢な体つきで性格も温和しい浩市は、小学校、中学校ともにいじめの標的となった。物がなくなる、暴力をふるわれるだけでなく、金をせびられまでしたという。
「宗市は何度も俺に言ったんです。あんな奴ら"俺たちの能力"でやっつけてやればいいんだ、って。でも俺はテレポーテーションを使わなかった。怖かったんです」
奇妙な能力があると知れたら今よりもっとひどい目にあうのではないか。それも自分だけでなく弟までも。当時の浩市はそう考えたのだ。
「兄貴は悪くない、立派だった、耐えてたんだ、それを知りもしないであいつらは…」
宗市が口を挟んだ。
抵抗せずに金を出してしまったのがいけなかったのか、いじめはエスカレートする一方だった。あるとき、もう一銭も手元に無くなった浩市に暴行を加えた後で、同級生たちは宗市に電話をかけて呼び出した。兄貴の代わりにお前が金を持って来い、という要求である。
双子はそのとき遂に、人に対して"能力"を使った。
宗市は、兄に向けられた理不尽な暴力への怒りから、"送信"した。浩市は、弟に被害が及ぶのを怖れるあまり、"受信"した。
その瞬間、同級生たちの頭上に自転車が降り注いだ。
「死んでしまった、その時はそう思いました」
浩市は吐息に近いかすれ声でそう言った。
頭から血を流して倒れた同級生の姿に動揺し、怖ろしくなった浩市は、しばらく立ち上がることが出来なかった。
「い…まの、なんだよ、お前いまなに…」
同級生のうちの1人、自転車の直撃を免れた少年が震える声でそう呟いて逃げてゆく後ろ姿を眺めながら浩市は、すべておしまいだ、と思った。だが。
「俺があの人に初めて会ったのはその時でした」
足立浩市の噛みしめるようなその単語、"あの人"という言葉を聞いて、野上美雪のケースを思い出した七見の髪が恐怖に逆立つ。
「ま、待て」
七見の代わりに清治が割って入った。
「待てお前、それ喋って平気なのかよ」
足立浩市の口から告げられた"あの人"と、野上美雪が眠りにつく直前に語ろうとした"あの人"は、先ず間違いなく同じ人物を指している。となれば、浩市もまた、野上美雪と同じように覚めない眠りに陥ってしまうのではないか。清治はそれを心配したのである。
「ヤバいと思う部分は言う必要ねえ、だろ?所長」
言って振り返った清治に、七見は青ざめつつもなんとかコクコクと頷いてみせた。すると黙っていた宗市が顔を上げ、口をきいた。
「兄ちゃん…こいつの言う通りだよ、喋っちゃダメだ」
「でも、」
反論しかけた浩市を遮り、宗市が宣言する。
「オレが話す。なら問題ないだろ」
「オレは兄ちゃんと違ってあの人と直接会ってない。マークされていないんだ、だから話しても美雪さんみたいにはならないと思う…確信は無いけれど」
「でもお前はそれでいいのか、お前はあの人と共に戦いたいと言っていたじゃないか」
浩市の言葉に、宗市は首を振り、
「オレが一番大事なのは兄ちゃんだよ、あの人は二番目だ」
そう言って清治に視線を向けた。
「…兄ちゃんをいじめたゴミどもと、あんたを一緒くたにして悪かった」
「いや、俺…」
清治は答えることができずに口ごもったが、宗市は構わず話し始めた。
「簡単に言えば、オレと兄ちゃんは"あの人"に救われたんだ」
その男は、走り去った同級生たちと入れ替わりに浩市の前に現れた。
「落ち着いて、」
高校生の浩市よりいくらか年上の、澄んだ大きな瞳が印象的な男だった。彼は倒れた同級生の傍に膝をつき、少し傷を看た後、やさしい声で浩市に言った。
「大丈夫、君たちが悪い訳じゃない。これはただの事故だよ」
「で…でも俺、俺…」
紛れもなく自らが同級生の頭上に"呼んだ"自転車を見つめて震える浩市の頬を、彼はそっと撫でた。
「辛かったね、でももう安心していい、私が君たちを見つけた」
「あなたは…誰です」
男は浩市の目を覗き込むようにして、
「ひだりめ」
そう答えた。
「ひだりめ…」
宗市の口から出たその名を復唱したのは、青白い顔で話にのめり込んでいた七見でも、床の一点をじっと見つめていた清治でもなく、七見の兄、五見であった。
「たぶん偽名だ。でもあの人はその時兄貴にそう名乗ったし、俺たちだけじゃなくみんながあの人をそう呼んでる。あんた知っているのか?」
「いや…」
足立宗市に尋ねられ、言葉を濁した五見に代わって、野上春緒がかすれた声を出した。
「お姉ちゃんに、電話、してきた人ですね、」
「多分な」
頷いてから宗市は話を続けた。
「その後、兄貴がかけてきた電話で、オレは一部始終とひだりめの事を聞いた」
「兄ちゃん、自転車、受信したんだろ!どうなったんだよ、大丈夫か、」
電話口で怒鳴る弟に、浩市は放心したような声で状況を説明し、
「よくわからない…あの人が全部なんとかしてくれると言っていた、でも一体あの人が何者なのか、信用していいのか全然わからない、ただ、」
正直な気持ちと、ある事実を告げた。
「俺たちの"力"も、苦しみも、ひだりめはみんな知っていた…」
翌日、全てはひだりめの言う通りになった。学校でも家でも、双子は事件について何一つ尋ねられる事は無く、ただ、朝のホームルームで教師から、事故で同級生が入院した、と聞かされただけで終わりだった。
その後しばらく、双子への"ひだりめ"からの接触は何もなかった。例の事件について同級生たちは一切口を噤み、怪我をした少年も退院する事はなく、不安は消えないままではあったが浩市と宗市は無事に高校を卒業した。そうして数ヶ月経った頃、浩市は妙な噂を耳にしたのである。
同級生の1人が死んだ。
そんな噂だった。双子が初めて力を使ったあの時、現場に居たうちの1人、怪我をした少年ではなく、逃げた仲間の1人らしい。死因は不明。それを知った絶妙のタイミングで浩市のもとに再び"ひだりめ"は現れた。夕刻、仕事帰りの坂道に、待っていたかのように彼は立っていた。
「やあ、また会ったね」
ひだりめは、サングラスをかけていた。浩市は、以前会った時のひだりめの眼差しがどんなだったか思い出そうとしたが、どうしてもできなかった。
「…間垣は、」
浩市は震えながらも、死んだという同級生の名を出した。
「間垣は、あなたが?」
ひだりめは、じっと浩市を見つめ、何も言わずにただ頷いた。訊かなくとも浩市には判った。間垣はおそらく、あの事件について誰かに話した、もしくは話そうとしたのだろう。だがなぜひだりめが罪を犯してまで自分達を守ってくれるのか、浩市にはそれが判らなかった。
「どうして…あなたは俺たちに、ここまで、」
「ねえ。人と違う者は、ひっそりと、不幸に生きなければならないなんて、一体誰が決めたんだろう」
「え、」
突然の問いに浩市は戸惑った。ひだりめはゆっくりと、続けた。
「生まれて、ただ自然に生きてゆきたいだけなのにね。君たちも、私も」
私も。ひだりめははっきりとそう言った。
「じゃあ、まさか…あなたも、」
「そう。君たちとは違う力だけれど」