第21話 お題:天使の翼
町はずれの宿屋の一室で、中年の姿に戻った錬金術師は、鼻歌のような呟きを漏らしながら、鞄から取り出した試験管、薬液、チューブ、鉱石などを次々と木机の上に並べていった。
「幸いなことに彼らは今のところ何も知らないようだ…だがクォーターエルフの坊やが気づく可能性はある。…早いところ見つけなくてはならないな…君、ちょっと感知器を見張っていてくれないか」
そちらを見もしないでアドルカンに奇妙な蛇の頭の付いた箱を手渡す。
「蛇がニャーニャーニャーと鳴いたら教えてくれたまえ。うん…?ガーゴイルパウダーはどこにしまったかな…」
アドルカンは箱を持ったまま怒りに肩を震わせる。
「ざっけんな爺ィ!!何がニャーニャーだッ!俺はテメエの召使いじゃねえんだよッ!」
「ニャーニャーではない。ニャーニャーニャー、だ」
作業を止める気配すら見せずにずらした返答を寄越した錬金術師に向かって、アドルカンは箱を投げつけた。
「今すぐ老衰で死ねよ!!どっちでもいいだろうが!くだらねえ事やらせやがって…何がしてーんだよテメエは!あいつをぶち殺すんじゃねえのか!」
「まだだ。今は彼女を見つけるのが先だ。時間が経過すればそれだけ難しくなる」
錬金術師は蟹の脚のようなものを試験管に落とし、それを揺らした。細かな泡がぷつぷつと湧き出す。
「ロシエールと一緒に居た女か。あの女が見つかればいいんだな?くそ、わかったよやってやるよ!」
アドルカンは指を鳴らして空中から銀水晶を取り出し、小さく呪文を詠唱した。だが、
銀水晶には何も映らなかった。
「…何だと…」
「遠隔魔法の類では彼女は見つからない」
愕然となるアドルカンを片目でチラリと見てから、錬金術師は笑った。
「あれはあまりにも、自然に溶け込みすぎるのだ…安心したまえ、君の腕が悪いからではない」
アドルカンは、細かな模様の入った錬金術師の義眼に見つめられ、首筋に冷たいものを感じた。
「何なんだよあの女は…テメエ一体、何を企んで…」
言いかけた途端、ばちん、と弾けるような音とともに一瞬、空気が揺れた。
「……!」
錬金術師の片目が奇妙な色を宿して細まった。試験管に薬液を注ごうとしていた手が止まる。
「…今のは何だね?」
アドルカンには、たった今起きた現象に覚えがあった。忌々しげに舌打ちして彼は答える。
「あァ、あの馬鹿がどっか近い所で魔法を使ったんだろうよ。くそっ…」
「あの馬鹿とは、ユリウス=ロシエールのことか」
「そーだよ。あいつの魔法は"混沌の力"を解放する魔法だからな、野郎が規模のでかい魔法使う度に、周囲の関係ねえ空間の秩序にまで妙な影響が出やがんだ」
アドルカンは宿の窓の外でフワフワと、たくさんの何かが、抜け落ちた天使の羽のように舞っているのを指差した。
よく耳かきの上についているアレだった。
「あのくそ野郎、何しやがったんだ今度は…期末試験の時も俺のクラスに大量の牛スジ降らせやがって畜生…」
学生時代の悪夢の一部を思い出し悪態をつくアドルカンの後ろで、錬金術師の腕は実に数十年ぶりの鳥肌をたてていた。
それは未知のものに対する純粋な好奇心から来る興奮であり、
あと、フワフワした綿毛みたいなものに対する生理的な反応だった。
「君、ちょっと、彼がいま何をしているのか、水晶に映してみてくれないか」
獲物を狩る時の狐や狼のような表情で、錬金術師は命じた。
「面白いな、実に、面白いよ…」
「幸いなことに彼らは今のところ何も知らないようだ…だがクォーターエルフの坊やが気づく可能性はある。…早いところ見つけなくてはならないな…君、ちょっと感知器を見張っていてくれないか」
そちらを見もしないでアドルカンに奇妙な蛇の頭の付いた箱を手渡す。
「蛇がニャーニャーニャーと鳴いたら教えてくれたまえ。うん…?ガーゴイルパウダーはどこにしまったかな…」
アドルカンは箱を持ったまま怒りに肩を震わせる。
「ざっけんな爺ィ!!何がニャーニャーだッ!俺はテメエの召使いじゃねえんだよッ!」
「ニャーニャーではない。ニャーニャーニャー、だ」
作業を止める気配すら見せずにずらした返答を寄越した錬金術師に向かって、アドルカンは箱を投げつけた。
「今すぐ老衰で死ねよ!!どっちでもいいだろうが!くだらねえ事やらせやがって…何がしてーんだよテメエは!あいつをぶち殺すんじゃねえのか!」
「まだだ。今は彼女を見つけるのが先だ。時間が経過すればそれだけ難しくなる」
錬金術師は蟹の脚のようなものを試験管に落とし、それを揺らした。細かな泡がぷつぷつと湧き出す。
「ロシエールと一緒に居た女か。あの女が見つかればいいんだな?くそ、わかったよやってやるよ!」
アドルカンは指を鳴らして空中から銀水晶を取り出し、小さく呪文を詠唱した。だが、
銀水晶には何も映らなかった。
「…何だと…」
「遠隔魔法の類では彼女は見つからない」
愕然となるアドルカンを片目でチラリと見てから、錬金術師は笑った。
「あれはあまりにも、自然に溶け込みすぎるのだ…安心したまえ、君の腕が悪いからではない」
アドルカンは、細かな模様の入った錬金術師の義眼に見つめられ、首筋に冷たいものを感じた。
「何なんだよあの女は…テメエ一体、何を企んで…」
言いかけた途端、ばちん、と弾けるような音とともに一瞬、空気が揺れた。
「……!」
錬金術師の片目が奇妙な色を宿して細まった。試験管に薬液を注ごうとしていた手が止まる。
「…今のは何だね?」
アドルカンには、たった今起きた現象に覚えがあった。忌々しげに舌打ちして彼は答える。
「あァ、あの馬鹿がどっか近い所で魔法を使ったんだろうよ。くそっ…」
「あの馬鹿とは、ユリウス=ロシエールのことか」
「そーだよ。あいつの魔法は"混沌の力"を解放する魔法だからな、野郎が規模のでかい魔法使う度に、周囲の関係ねえ空間の秩序にまで妙な影響が出やがんだ」
アドルカンは宿の窓の外でフワフワと、たくさんの何かが、抜け落ちた天使の羽のように舞っているのを指差した。
よく耳かきの上についているアレだった。
「あのくそ野郎、何しやがったんだ今度は…期末試験の時も俺のクラスに大量の牛スジ降らせやがって畜生…」
学生時代の悪夢の一部を思い出し悪態をつくアドルカンの後ろで、錬金術師の腕は実に数十年ぶりの鳥肌をたてていた。
それは未知のものに対する純粋な好奇心から来る興奮であり、
あと、フワフワした綿毛みたいなものに対する生理的な反応だった。
「君、ちょっと、彼がいま何をしているのか、水晶に映してみてくれないか」
獲物を狩る時の狐や狼のような表情で、錬金術師は命じた。
「面白いな、実に、面白いよ…」
第22話 お題:切れない絆
切り立った崖の上、魔法使いは立ち尽くしていた。
「……嘘だ…」
魔法使いは、確かめようと思っていた。花売りが本当に侯爵のご令嬢なのかを尋ねてみようと思っていた。そうして
「だからゴレージョって何味よォーッ!いい気になんじゃねえクリスピー野郎ォオーーッ!」
とか言われてまっぷたつにされるものだと信じていた。だが、
花売りの姿は無かったのだ。
いつもの荷車があった場所には、手形のようなものがついているだけで、あの血しぶきみたいな文字の看板も、よく野生のドラゴンの肉を焼いていた焚き火の跡も、何にもなかった。
花売りは、いなくなったのだった。
「…………」
「先生、」
あまりの事に言葉も出せない魔法使いを見かね、弟子が声をかけた。
「先生、しっかり」
「ルシル」
振り返った魔法使いの頬を、静かに一筋の涙が伝っていった。
「お姉さんは僕の事が嫌でいなくなったのか…?」
「違います。もしそうだったらもっと早くいなくなってます」
「じゃあ、本当に侯爵のご令嬢だった?連れ戻されるのが嫌で逃げたのか?そんなはずないよ…あの人が令嬢なわけない」
「そう思います、ですが、」
ルシルの言葉を待たずに、魔法使いは独白にも似た呟きを吐き出し続けた。
「だったらやっぱり僕の事が気味悪くなっていなくなったんじゃないのか…?そうだろ?…実の両親だってそうやっていなくなったんだ、きっと僕は…」
魔法使いの心に、幼い頃に刻まれたひどい記憶が蘇りかけているのを見て取った弟子は、非礼を承知で師匠の頭を掴んで引き寄せた。
「落ち着いて、先生、落ち着いて。冷静に考えてください。あの子はあなたの両親と関係ない、全然違う、野生動物みたいな花売り娘です。ついでに言えば侯爵令嬢であるはずもないんだ、不自然な点が、」
魔法使いの茶色い目を、覗き込むようにして言う。
「ああでも今はこの際そんな細かい事はどうだっていい。先生、女の子が逃げる時は大概、追って欲しい時なんですよ。そこで引くなよ、押しまくれよ。好きなんでしょう?」
「…うん…」
魔法使いは頷いた。小さな深呼吸を数回したあと、懐から黒いケースを取り出した。
「追いかけるよ…」
長い指による丁寧な動作で魔法使いは針を構え、世界中で彼だけが知る彼だけの魔法の名を唱えた。
「カノン。…追唱部の旋律に5度の拡大」
銀のタクトが、精密に動き出す。
「……嘘だ…」
魔法使いは、確かめようと思っていた。花売りが本当に侯爵のご令嬢なのかを尋ねてみようと思っていた。そうして
「だからゴレージョって何味よォーッ!いい気になんじゃねえクリスピー野郎ォオーーッ!」
とか言われてまっぷたつにされるものだと信じていた。だが、
花売りの姿は無かったのだ。
いつもの荷車があった場所には、手形のようなものがついているだけで、あの血しぶきみたいな文字の看板も、よく野生のドラゴンの肉を焼いていた焚き火の跡も、何にもなかった。
花売りは、いなくなったのだった。
「…………」
「先生、」
あまりの事に言葉も出せない魔法使いを見かね、弟子が声をかけた。
「先生、しっかり」
「ルシル」
振り返った魔法使いの頬を、静かに一筋の涙が伝っていった。
「お姉さんは僕の事が嫌でいなくなったのか…?」
「違います。もしそうだったらもっと早くいなくなってます」
「じゃあ、本当に侯爵のご令嬢だった?連れ戻されるのが嫌で逃げたのか?そんなはずないよ…あの人が令嬢なわけない」
「そう思います、ですが、」
ルシルの言葉を待たずに、魔法使いは独白にも似た呟きを吐き出し続けた。
「だったらやっぱり僕の事が気味悪くなっていなくなったんじゃないのか…?そうだろ?…実の両親だってそうやっていなくなったんだ、きっと僕は…」
魔法使いの心に、幼い頃に刻まれたひどい記憶が蘇りかけているのを見て取った弟子は、非礼を承知で師匠の頭を掴んで引き寄せた。
「落ち着いて、先生、落ち着いて。冷静に考えてください。あの子はあなたの両親と関係ない、全然違う、野生動物みたいな花売り娘です。ついでに言えば侯爵令嬢であるはずもないんだ、不自然な点が、」
魔法使いの茶色い目を、覗き込むようにして言う。
「ああでも今はこの際そんな細かい事はどうだっていい。先生、女の子が逃げる時は大概、追って欲しい時なんですよ。そこで引くなよ、押しまくれよ。好きなんでしょう?」
「…うん…」
魔法使いは頷いた。小さな深呼吸を数回したあと、懐から黒いケースを取り出した。
「追いかけるよ…」
長い指による丁寧な動作で魔法使いは針を構え、世界中で彼だけが知る彼だけの魔法の名を唱えた。
「カノン。…追唱部の旋律に5度の拡大」
銀のタクトが、精密に動き出す。
第23話 お題:踊る妖精
(お姉さん、いきますよ…)
魔法使いはタクトを振った。
カノン、
足跡こそ残されていないが、地面には花売りが通り過ぎていったその瞬間に、様々な偶然の出来事が起きている。
それは土壌菌の動き、或いは砂の粒の位置の変化、或いは空気の揺れ、その時、その瞬間、その位置を花売りが通らなければ起こり得なかった様々な小さな偶然が、ささやかで複雑な混沌の旋律を奏でている。
魔法使いはその旋律を読む。
そして輪唱するように、花売りの通った旋律を、より混沌具合の激しくなった偶然で、なぞってゆく。
それが、カノン
ユリウス=ロシエール以外の誰も使うことのできない、彼独自の魔法の1つである。
まず荷車のあった辺りに耳かきとアガリクス茸が等間隔で交互に並んで生え始めた。続いて鉄塔、少し飛んでバグパイプ、再び耳かき、トーテムポール、バナナが数本続いて、お地蔵様が連続100体、長芋、長芋、とろろ、もうここまで来ると魔法使いや弟子のいる崖からは見えない位置になる。次いでとまれの交通標識が180本並んで、次の巨大ボウリングピンまできたところで魔法使いは息をついた。
カノンは非常に繊細な魔法である。無限の偶然を孕んだ混沌から手探りで、一度奏でられた旋律を追い、更にそれを別の偶然で強調しながらなぞってゆく作業は、針の先ほどのズレも許されないばかりか、尋常でない量の魔力を必要とする。普通の魔法使いが使う火炎爆発系の魔法およそ100発分ぐらいの魔力を1秒毎に消費し続けるというとんでもない魔法なのだ。しかし魔法使いは背骨をたわませてもう一度深く息を吸い込み、すぐに作業を再開した。
「…アンダンテ…いや、アレグレット…ここで少し走ったのか……」
坂道にイガイガのついた棍棒が刺さってゆく。スピードが上がり、フランスパンが一瞬で50個並ぶ、カーブに沿って群生する5つ葉のクローバーに驚いて、野ウサギが逃げていった、その脇にぽんぽんとヒョウタン型の水たまりが蛇行していくつも出現する。
「ぬな…速っ!…速いよお姉さん…何でそんなに…急ぐんです、か…っ」
肩で息をしながら、目まぐるしい混沌の旋律を見極めようと、魔法使いは近眼を細める。するとまるで過ぎ去った瞬間瞬間の花売りの姿が、見えてくるような感覚になってきた。
(あ、お姉さん跳んだなここで…)
それを卒塔婆とモノリスでなぞる。
(回った)
クリスマスツリーでなぞる、
(走った)
牛骨でなぞる、
(ちょ、顔で歩いてない?)
氷砂糖でなぞる
「ま…また跳んだ…きついなこれ…つかお姉さん何やってんだよ…」
(うわ高速側転した)
発煙筒で、
(急カーブっ)
十字架で、
(ちょま、えっ…何それ!?なにしてんの!?)
一小節の読めない旋律、なぞることができず空白となる。
「う、やべ…しくった…」
旋律が乱れる。同時に魔法使いの体が大きく傾いた。
「先生、大丈夫ですか」
弟子が駆け寄ると、魔法使いは、はあ、とため息をつき、
「なんなの…お姉さん速すぎ…途中までしか追えなかった…」
と、悲しげな、しかしどこか楽しそうな調子で告げると、
「とりあえずわかったとこまで行こうか…ルシル後から旅支度持ってきてくれる?」
いつもの猫背で弟子にそう頼み、自分は混沌そのもののようなものたちで出来た道をてくてく歩き出す。弟子はその後ろ姿に微かに戦慄した。
「お見事です、先生」
ユリウス=ロシエールが世界随一と呼ばれる所以は、独特の奇怪な魔法のせいだけではない。真に畏れられるのは、この猫背に内包された底無し沼のような魔力量の方なのである。
銀水晶を覗き込んでいた錬金術師は感嘆の声を上げた。
「素晴らしく奇妙な魔法だ…偶然が内包する混沌を操っているのか?あんな方法で追うとは」
「とっととぶっ殺さねえから先を越されたんだ。爺ィてめえ伝説の錬金術師のくせしてロシエールに出し抜かれたな」
アドルカンの嘲笑に、錬金術師は飄々と答える。
「そうだな。まあせっかくだから彼にはこのまま追ってもらって、あれを見つけたところでお引き取り願おう」
言いながら先ほどの蟹の脚を入れた試験管に軽く、魔力を注ぎ込む。
「資金が届くまでは薬品を節約しないとならないからな…素晴らしく都合がいい」
死臭に似た悪臭と共に試験管から半透明の煙のようなものが流れ出し、窓の外、魔法使いのいる方角に漂っていった。
「…気持ちの悪ィ術だ」
アドルカンは舌打ちした。奇妙である、という点はロシエールの魔法と共通していると言えなくもなかったが、錬金術師の魔法にはどこか、生理的に気味の悪い何かがつきまとっているように思えた。
魔法使いはタクトを振った。
カノン、
足跡こそ残されていないが、地面には花売りが通り過ぎていったその瞬間に、様々な偶然の出来事が起きている。
それは土壌菌の動き、或いは砂の粒の位置の変化、或いは空気の揺れ、その時、その瞬間、その位置を花売りが通らなければ起こり得なかった様々な小さな偶然が、ささやかで複雑な混沌の旋律を奏でている。
魔法使いはその旋律を読む。
そして輪唱するように、花売りの通った旋律を、より混沌具合の激しくなった偶然で、なぞってゆく。
それが、カノン
ユリウス=ロシエール以外の誰も使うことのできない、彼独自の魔法の1つである。
まず荷車のあった辺りに耳かきとアガリクス茸が等間隔で交互に並んで生え始めた。続いて鉄塔、少し飛んでバグパイプ、再び耳かき、トーテムポール、バナナが数本続いて、お地蔵様が連続100体、長芋、長芋、とろろ、もうここまで来ると魔法使いや弟子のいる崖からは見えない位置になる。次いでとまれの交通標識が180本並んで、次の巨大ボウリングピンまできたところで魔法使いは息をついた。
カノンは非常に繊細な魔法である。無限の偶然を孕んだ混沌から手探りで、一度奏でられた旋律を追い、更にそれを別の偶然で強調しながらなぞってゆく作業は、針の先ほどのズレも許されないばかりか、尋常でない量の魔力を必要とする。普通の魔法使いが使う火炎爆発系の魔法およそ100発分ぐらいの魔力を1秒毎に消費し続けるというとんでもない魔法なのだ。しかし魔法使いは背骨をたわませてもう一度深く息を吸い込み、すぐに作業を再開した。
「…アンダンテ…いや、アレグレット…ここで少し走ったのか……」
坂道にイガイガのついた棍棒が刺さってゆく。スピードが上がり、フランスパンが一瞬で50個並ぶ、カーブに沿って群生する5つ葉のクローバーに驚いて、野ウサギが逃げていった、その脇にぽんぽんとヒョウタン型の水たまりが蛇行していくつも出現する。
「ぬな…速っ!…速いよお姉さん…何でそんなに…急ぐんです、か…っ」
肩で息をしながら、目まぐるしい混沌の旋律を見極めようと、魔法使いは近眼を細める。するとまるで過ぎ去った瞬間瞬間の花売りの姿が、見えてくるような感覚になってきた。
(あ、お姉さん跳んだなここで…)
それを卒塔婆とモノリスでなぞる。
(回った)
クリスマスツリーでなぞる、
(走った)
牛骨でなぞる、
(ちょ、顔で歩いてない?)
氷砂糖でなぞる
「ま…また跳んだ…きついなこれ…つかお姉さん何やってんだよ…」
(うわ高速側転した)
発煙筒で、
(急カーブっ)
十字架で、
(ちょま、えっ…何それ!?なにしてんの!?)
一小節の読めない旋律、なぞることができず空白となる。
「う、やべ…しくった…」
旋律が乱れる。同時に魔法使いの体が大きく傾いた。
「先生、大丈夫ですか」
弟子が駆け寄ると、魔法使いは、はあ、とため息をつき、
「なんなの…お姉さん速すぎ…途中までしか追えなかった…」
と、悲しげな、しかしどこか楽しそうな調子で告げると、
「とりあえずわかったとこまで行こうか…ルシル後から旅支度持ってきてくれる?」
いつもの猫背で弟子にそう頼み、自分は混沌そのもののようなものたちで出来た道をてくてく歩き出す。弟子はその後ろ姿に微かに戦慄した。
「お見事です、先生」
ユリウス=ロシエールが世界随一と呼ばれる所以は、独特の奇怪な魔法のせいだけではない。真に畏れられるのは、この猫背に内包された底無し沼のような魔力量の方なのである。
銀水晶を覗き込んでいた錬金術師は感嘆の声を上げた。
「素晴らしく奇妙な魔法だ…偶然が内包する混沌を操っているのか?あんな方法で追うとは」
「とっととぶっ殺さねえから先を越されたんだ。爺ィてめえ伝説の錬金術師のくせしてロシエールに出し抜かれたな」
アドルカンの嘲笑に、錬金術師は飄々と答える。
「そうだな。まあせっかくだから彼にはこのまま追ってもらって、あれを見つけたところでお引き取り願おう」
言いながら先ほどの蟹の脚を入れた試験管に軽く、魔力を注ぎ込む。
「資金が届くまでは薬品を節約しないとならないからな…素晴らしく都合がいい」
死臭に似た悪臭と共に試験管から半透明の煙のようなものが流れ出し、窓の外、魔法使いのいる方角に漂っていった。
「…気持ちの悪ィ術だ」
アドルカンは舌打ちした。奇妙である、という点はロシエールの魔法と共通していると言えなくもなかったが、錬金術師の魔法にはどこか、生理的に気味の悪い何かがつきまとっているように思えた。
第24話 お題:凍った森(空気が)
魔法使いの魔法によって生み出された混沌の道は、深い森の奥に向けて続いていた。
皇帝の森、と呼ばれるこの広大な木々の海に足を踏み入れる者の大半は、自殺者である。一度入ったら死ぬまで抜け出せないと言い伝えられているからだ。
方位磁石は狂い、木々に覆われて天体を観測することもできない。道に迷うのはもちろんのこと、森には様々なモンスターの類や、人間以外の未知の部族などが潜んでいる。例え方角が判っても生きて出るのは至難の業。そういう場所なのだった。
その皇帝の森の真ん中に、
不似合いな格調高いダイニングテーブルと椅子が一式。
「先生、晩ごはんできましたよ」
「え、あ…うん」
皿とナイフとフォークを並べながらルシルは師匠を呼んだ。
魔法使いとルシルは紫檀の椅子に着席し、黙々と食事を始める。
本日の献立
めかじきのソテー(にんじんグラッセ添え)
ナッツ入り酵母パン(自家製)
ポップシュリンプサラダ(ワカモーレソース仕立て)
鳥と季節野菜の三色テリーヌ
かぼちゃスープ
洋梨のブラマンジェ
どこかでフクロウが鳴いている。時折背後の草むらをグレムリンが横切ったり、木々の上からドワーフ的な声がしたりする中に、違和感のあるナイフとフォークの金属音が混じる。
「うん…いつもながらすごく美味しいよ…でもさ、」
「何ですか」
弟子の背後には、菜箸、ボウル、泡立て器、量り、各種包丁、キッチンタイマー、キャセロールディッシュ、フードプロセッサーなどの台所用品一式と、更にシンクと料理窯、貯蔵庫までが、ベーシックな縮小魔法でミニチュアサイズにされて整然と積み重ねられていた。小さくしたとは言え、それでもかなりの量である。
「あのさルシル、旅支度、って言ったよね僕…ちょっと持って来すぎじゃない?必要最低限でよかったんじゃない?」
だがルシルは当然という顔つきで淡々と述べた。
「全部必要です。料理を甘く見ないで欲しいですね、先生、良いですか、手間を惜しむからクオリティが下がる。逆に言えば手間さえかければ家庭でも本格の味が出せるんです。てゆうか言われたから持っては来てますけど先生のパジャマとナイトキャップの方が必要なくない?捨てていいですか?」
「ほんとごめんもう言わないからすてないでください」
その後しばらく無言で皿を空け続けていた2人だったが、デザートを頬張りながら魔法使いが
「それにしてもさ」
と、話の口火を切った。
「お姉さんはなんでいなくなったんだろう」
「わかりません。でも侯爵の令嬢じゃないのは確かです。…む、クレイジーソルト入れるべきだったなこれ」
弟子はサラダを味わいながらそう答えた。
「確かなのか?」
魔法使いの声に僅かな不安が含まれている。彼も花売りが令嬢だとは露ほども思っていないが、確証が欲しかったのだ。
「あの絵、」
ルシルはフォークで空中を指した。
「先生もご覧になったでしょう。あの召使いが持ってきた小さい肖像画です。アレ、かなり古い絵でしたよね」
「ああ…うん、なんか、黄ばんで今にもパリパリっていきそうな」
魔法使いは絵を手にした時の触覚を思い出す。そうだった。描かれて少なくとも10年20年はたっていそうな、古い絵だった。
「描かれていたのは何でしたか?」
「髪おろしたお姉さんそっくりの美人」
「年齢は」
「お姉さんと同じぐらい」
弟子は師匠の鈍さに少しだけイラッときて身を乗り出した。
「だからァ。もし花売りさんがご令嬢なんだったら、あの絵、もっと子供の頃の絵じゃなきゃ変でしょ」
「…ぁ、あっあああ!そうかそうだよ。そうだ!年齢あわないや」
魔法使いはようやく不自然さに気づいて大声をあげた。しかしすぐにまた不安げな顔色になる。
「…待って…じゃあお姉さんは逃げる必要がない…何でいなくなったんだろう?」
「だからそれはわかりませんって。本人に聞けばいいでしょう」
言いながらルシルは席を立ち、テキパキと皿を片付け出す。魔法使いは仕方なく話を打ち切って、大量の荷物の中からパジャマとナイトキャップを探し始めた。
皇帝の森、と呼ばれるこの広大な木々の海に足を踏み入れる者の大半は、自殺者である。一度入ったら死ぬまで抜け出せないと言い伝えられているからだ。
方位磁石は狂い、木々に覆われて天体を観測することもできない。道に迷うのはもちろんのこと、森には様々なモンスターの類や、人間以外の未知の部族などが潜んでいる。例え方角が判っても生きて出るのは至難の業。そういう場所なのだった。
その皇帝の森の真ん中に、
不似合いな格調高いダイニングテーブルと椅子が一式。
「先生、晩ごはんできましたよ」
「え、あ…うん」
皿とナイフとフォークを並べながらルシルは師匠を呼んだ。
魔法使いとルシルは紫檀の椅子に着席し、黙々と食事を始める。
本日の献立
めかじきのソテー(にんじんグラッセ添え)
ナッツ入り酵母パン(自家製)
ポップシュリンプサラダ(ワカモーレソース仕立て)
鳥と季節野菜の三色テリーヌ
かぼちゃスープ
洋梨のブラマンジェ
どこかでフクロウが鳴いている。時折背後の草むらをグレムリンが横切ったり、木々の上からドワーフ的な声がしたりする中に、違和感のあるナイフとフォークの金属音が混じる。
「うん…いつもながらすごく美味しいよ…でもさ、」
「何ですか」
弟子の背後には、菜箸、ボウル、泡立て器、量り、各種包丁、キッチンタイマー、キャセロールディッシュ、フードプロセッサーなどの台所用品一式と、更にシンクと料理窯、貯蔵庫までが、ベーシックな縮小魔法でミニチュアサイズにされて整然と積み重ねられていた。小さくしたとは言え、それでもかなりの量である。
「あのさルシル、旅支度、って言ったよね僕…ちょっと持って来すぎじゃない?必要最低限でよかったんじゃない?」
だがルシルは当然という顔つきで淡々と述べた。
「全部必要です。料理を甘く見ないで欲しいですね、先生、良いですか、手間を惜しむからクオリティが下がる。逆に言えば手間さえかければ家庭でも本格の味が出せるんです。てゆうか言われたから持っては来てますけど先生のパジャマとナイトキャップの方が必要なくない?捨てていいですか?」
「ほんとごめんもう言わないからすてないでください」
その後しばらく無言で皿を空け続けていた2人だったが、デザートを頬張りながら魔法使いが
「それにしてもさ」
と、話の口火を切った。
「お姉さんはなんでいなくなったんだろう」
「わかりません。でも侯爵の令嬢じゃないのは確かです。…む、クレイジーソルト入れるべきだったなこれ」
弟子はサラダを味わいながらそう答えた。
「確かなのか?」
魔法使いの声に僅かな不安が含まれている。彼も花売りが令嬢だとは露ほども思っていないが、確証が欲しかったのだ。
「あの絵、」
ルシルはフォークで空中を指した。
「先生もご覧になったでしょう。あの召使いが持ってきた小さい肖像画です。アレ、かなり古い絵でしたよね」
「ああ…うん、なんか、黄ばんで今にもパリパリっていきそうな」
魔法使いは絵を手にした時の触覚を思い出す。そうだった。描かれて少なくとも10年20年はたっていそうな、古い絵だった。
「描かれていたのは何でしたか?」
「髪おろしたお姉さんそっくりの美人」
「年齢は」
「お姉さんと同じぐらい」
弟子は師匠の鈍さに少しだけイラッときて身を乗り出した。
「だからァ。もし花売りさんがご令嬢なんだったら、あの絵、もっと子供の頃の絵じゃなきゃ変でしょ」
「…ぁ、あっあああ!そうかそうだよ。そうだ!年齢あわないや」
魔法使いはようやく不自然さに気づいて大声をあげた。しかしすぐにまた不安げな顔色になる。
「…待って…じゃあお姉さんは逃げる必要がない…何でいなくなったんだろう?」
「だからそれはわかりませんって。本人に聞けばいいでしょう」
言いながらルシルは席を立ち、テキパキと皿を片付け出す。魔法使いは仕方なく話を打ち切って、大量の荷物の中からパジャマとナイトキャップを探し始めた。
第25話 お題:焚火
高級そうなふかふかの2つのベッドと、そこに眠るナイトキャップをかぶった魔法使い、手元の光魔法スタンドを灯して"亜人探偵最後の事件・血塗られた聖杯"を読みふける魔法使いの弟子。危険の潜むこの森の中において、明らかに異質な光景であった。
アドルカンは、彼らの姿を映し出していた銀水晶を懐にしまい、忌々しげに舌打ちをひとつした。その背中に錬金術師が告げる。
「では私は仮眠をとる、君はどうする」
錬金術師とアドルカンも魔法使い達を追って皇帝の森にやってきていたのである。
「あァ?どうするって、」
焚き火の薪のはぜる音がアドルカンの言葉を途中で区切る。
「爺ィ、てめ…見張り交代しねえつもりかよっ!」
魔法学校卒業後、様々な辛酸を舐めてきたアドルカンには、もちろん危険地域での野営の経験もある。モンスターの類が山ほどうろつく"皇帝の森"で見張りをたてずに眠るのは非常に危険な行為である事もよく承知していた。根が神経質で生真面目な彼には、どこぞの魔法使いのようにナイトキャップをつけてふかふかベッドで眠るなどというゆるみきった真似は出来ない。当然、見張りを立てて交代で眠るものと考えていたから、義眼を洗浄液に付け込んですっかり寝る気満々の錬金術師を前に、アドルカンは激しく抗議した。
「ざっけんな!俺だけ徹夜しろって言うのかよクソジジイ!お前いい加減にしねえとぶっ殺…」
「年齢的に睡眠が必要なんだ。では、よい夢を」
だが錬金術師は指を鳴らして棺桶を出現させると、全く話を聞かずに中に滑り込み、内側から蓋を閉めてしまった。
「………」
残されたアドルカンは暫く呆然としていた。あまりの怒りと、そして屈辱ゆえに言葉が出なかったのである。
静まり返った棺桶を前に、アドルカンはふと思う。
ぐっ……なんかもうコイツ今ここでぶち殺しちゃだめか?
棺桶ごと始末するのは容易い。おそらく骨も残らないだろう。が、すぐにその考えを振り払う。
いやダメだ。暗殺なんざ三流のやる事だ。
ガスパール=アドルカンには魔法使いとしてのプライドがあった。
魔法使い同士の殺し合いは、あくまでも決闘でなければならない。寝込みを襲うなど、実力の無いことを認めるようなものである。
また、本来ならばお互い仕事の上でのクールな殺し合いが望ましい。魔法使いは、たとえ愛し合った者同士であろうとも、敵として出会えば闘う生き物なのである。私怨はダサい。ニヒルでクールで命知らず、読んで字の如く魔の法術を使う者である魔法使いとは、そういうものであるべきだ。これがアドルカンの哲学なのだった。
「くそっ…」
アドルカンはサーベル杖にかけた手を下ろした。
あと少し、我慢すればいいだけだ。
そうしたら、堂々と、しかもクールに、ユリウス=ロシエールを殺せる名目が立つ。卒業式以来の二度目の決闘を申し込むなどという無様な真似をしなくても、
依頼なんだ。悪く思うなよ…ククク…いくぜ
とか言ってクールにぶち殺せるじゃねえか。だから
我慢しろ、耐えろ俺。爺ィを殺すのは、いつだって出来る。
アドルカンは、目の前の棺桶の中身に対する激しい憎悪をなんとか抑え込もうと、必死に深呼吸を繰り返した。
ぱち、
焚火の炎が揺らめく。
背後で、森の邪悪な怪物たちが今にも襲って来ようと息を潜め、タイミングを待っている。不名誉な通り名を付けられたとは言え魔法学校主席卒業の経歴は伊達ではない、アドルカンには彼らの気配が手に取るようにわかった。同時に、何かもう、ものすっごい、むかついた。
どいつもこいつも俺をバカにしやがって…
ぱちん、
焚火がまた音をたてた。瞬間、八方から獣の気配が飛びかかって来る。アドルカンは既に吐息に混ぜて呪文を詠唱し始めていた。
「蛙の王の名に於いて命じる、忠実な鉄の家来よ、全ての箍(たが)を外し、我に付き従…ぁああもういいムカつくから以下省略!」
居合い抜きのように、抜き放った杖が黒紫の炎の渦をまとい、その渦が巨大な生き物の腕の形を成す。
「俺は二番手でもなきゃ爺ィの下僕でも、お前らの餌でもねーんだよっ!馬鹿にすんじゃねええぇ!」
アドルカンを取り囲むように襲ってきた爪の長いグール(食人鬼)の群れは、鉄の塊で殴り飛ばされるような硬質な音をたてて次々に地面に落ちてゆく。第二陣、第三陣と続くがアドルカンは杖に同調する巨大な腕を振り回して、全て撃墜していった。
「つーか何で俺んとこばっかこんなに魔物来んだよ畜生!てめーらなんでベッドで熟睡してるロシエール襲わねーんだばっきゃろー!」
魔法使いはその頃、ベッドにヨダレを垂らし、ピスピスと笛のような寝息を立てていた。文庫本"亜人探偵最後の事件"を脇に置いて、ルシルも目を閉じていたが、彼は眠っていなかった。
侯爵の召使いは、一体なぜ令嬢の年齢について一言も告げなかったのか?
背後に、何があるのだろうか?
あと、せっかく用意したジャムを紅茶に落とさないのはちょっとむかつく。絶対美味いのに。
ぼんやりとそのようなことを考えていた。
アドルカンは、彼らの姿を映し出していた銀水晶を懐にしまい、忌々しげに舌打ちをひとつした。その背中に錬金術師が告げる。
「では私は仮眠をとる、君はどうする」
錬金術師とアドルカンも魔法使い達を追って皇帝の森にやってきていたのである。
「あァ?どうするって、」
焚き火の薪のはぜる音がアドルカンの言葉を途中で区切る。
「爺ィ、てめ…見張り交代しねえつもりかよっ!」
魔法学校卒業後、様々な辛酸を舐めてきたアドルカンには、もちろん危険地域での野営の経験もある。モンスターの類が山ほどうろつく"皇帝の森"で見張りをたてずに眠るのは非常に危険な行為である事もよく承知していた。根が神経質で生真面目な彼には、どこぞの魔法使いのようにナイトキャップをつけてふかふかベッドで眠るなどというゆるみきった真似は出来ない。当然、見張りを立てて交代で眠るものと考えていたから、義眼を洗浄液に付け込んですっかり寝る気満々の錬金術師を前に、アドルカンは激しく抗議した。
「ざっけんな!俺だけ徹夜しろって言うのかよクソジジイ!お前いい加減にしねえとぶっ殺…」
「年齢的に睡眠が必要なんだ。では、よい夢を」
だが錬金術師は指を鳴らして棺桶を出現させると、全く話を聞かずに中に滑り込み、内側から蓋を閉めてしまった。
「………」
残されたアドルカンは暫く呆然としていた。あまりの怒りと、そして屈辱ゆえに言葉が出なかったのである。
静まり返った棺桶を前に、アドルカンはふと思う。
ぐっ……なんかもうコイツ今ここでぶち殺しちゃだめか?
棺桶ごと始末するのは容易い。おそらく骨も残らないだろう。が、すぐにその考えを振り払う。
いやダメだ。暗殺なんざ三流のやる事だ。
ガスパール=アドルカンには魔法使いとしてのプライドがあった。
魔法使い同士の殺し合いは、あくまでも決闘でなければならない。寝込みを襲うなど、実力の無いことを認めるようなものである。
また、本来ならばお互い仕事の上でのクールな殺し合いが望ましい。魔法使いは、たとえ愛し合った者同士であろうとも、敵として出会えば闘う生き物なのである。私怨はダサい。ニヒルでクールで命知らず、読んで字の如く魔の法術を使う者である魔法使いとは、そういうものであるべきだ。これがアドルカンの哲学なのだった。
「くそっ…」
アドルカンはサーベル杖にかけた手を下ろした。
あと少し、我慢すればいいだけだ。
そうしたら、堂々と、しかもクールに、ユリウス=ロシエールを殺せる名目が立つ。卒業式以来の二度目の決闘を申し込むなどという無様な真似をしなくても、
依頼なんだ。悪く思うなよ…ククク…いくぜ
とか言ってクールにぶち殺せるじゃねえか。だから
我慢しろ、耐えろ俺。爺ィを殺すのは、いつだって出来る。
アドルカンは、目の前の棺桶の中身に対する激しい憎悪をなんとか抑え込もうと、必死に深呼吸を繰り返した。
ぱち、
焚火の炎が揺らめく。
背後で、森の邪悪な怪物たちが今にも襲って来ようと息を潜め、タイミングを待っている。不名誉な通り名を付けられたとは言え魔法学校主席卒業の経歴は伊達ではない、アドルカンには彼らの気配が手に取るようにわかった。同時に、何かもう、ものすっごい、むかついた。
どいつもこいつも俺をバカにしやがって…
ぱちん、
焚火がまた音をたてた。瞬間、八方から獣の気配が飛びかかって来る。アドルカンは既に吐息に混ぜて呪文を詠唱し始めていた。
「蛙の王の名に於いて命じる、忠実な鉄の家来よ、全ての箍(たが)を外し、我に付き従…ぁああもういいムカつくから以下省略!」
居合い抜きのように、抜き放った杖が黒紫の炎の渦をまとい、その渦が巨大な生き物の腕の形を成す。
「俺は二番手でもなきゃ爺ィの下僕でも、お前らの餌でもねーんだよっ!馬鹿にすんじゃねええぇ!」
アドルカンを取り囲むように襲ってきた爪の長いグール(食人鬼)の群れは、鉄の塊で殴り飛ばされるような硬質な音をたてて次々に地面に落ちてゆく。第二陣、第三陣と続くがアドルカンは杖に同調する巨大な腕を振り回して、全て撃墜していった。
「つーか何で俺んとこばっかこんなに魔物来んだよ畜生!てめーらなんでベッドで熟睡してるロシエール襲わねーんだばっきゃろー!」
魔法使いはその頃、ベッドにヨダレを垂らし、ピスピスと笛のような寝息を立てていた。文庫本"亜人探偵最後の事件"を脇に置いて、ルシルも目を閉じていたが、彼は眠っていなかった。
侯爵の召使いは、一体なぜ令嬢の年齢について一言も告げなかったのか?
背後に、何があるのだろうか?
あと、せっかく用意したジャムを紅茶に落とさないのはちょっとむかつく。絶対美味いのに。
ぼんやりとそのようなことを考えていた。
第26話 お題:エルフ
「何だってええぇえ!!」
魔法使いは顔面蒼白で叫び声をあげた。
「そんで、その手紙読んで亜人探偵はジェラルドが実の父親だって知ってしまうんです」
「わーばかな~。ジェラルドが親父だったなんて…ぐっはあ…どうなんのよそれー。親子対決~?」
ルシルから、昨夜読んだ探偵小説のあらすじを聞きながら歩いているうちに、いつの間にか魔法使いはカノンで追いかけた混沌の道の終わりまでたどり着いていた。
森の中にはそぐわない発煙筒の行列のあと、神様の彫刻付きの真っ白い十字架が、どん、と2本地面に突き立っていて、それを最後にカノンは途絶えている。
「ここで終わりですね」
「…うーん、じゃあこっからまた続きやろっか」
魔法使いは懐から針ケースを取りだす。
と、その時。
「先生危ないッ!」
弟子が叫んで魔法使いに思いきり蹴りを入れた。
「いったああああ!何すんのルシ……」
驚いて振り返った魔法使いの頭を、飛んできた矢が真横から貫いた。
「みぎゃっ」
そのまま昏倒してしまった魔法使いに、ルシルは慌てて駆け寄った。
「あ、すみません、タイミングを間違えました。ワザとじゃないですよ…あ、あれっ?先生?」
頬を張り飛ばすが反応がない。
「え…死んだ?まさか矢はだめとか?先生、先生!?」
魔法使いの体を揺さぶったり蹴ったりしていると、背後の藪が微かに音をたてた。何者かの気配。
ルシルは、抱えていた師匠の頭を地面に落とすと、念のために背嚢からフライ返しを抜いて握り締めた。
「出てきて下さい…矢を放ったのはあなたですか?」
藪に向かって問いかける。すると
「いいえ」
透き通るような声。髪の長い、華奢な女性が姿を現した。尖った耳、不思議な素材の装束、目の色などを見るまでもなく、ルシルには直ぐわかった。人間ではない。女はエルフ、であった。
「あの辺の誰かです」
女が指し示した茂みから、幾人ものエルフ達が立ち上がる。手に手に武器を持っていた。
あ、絶対無理。フライ返しで撃退できる人数超えてる。
ルシルは未だ目を覚まさない魔法使いに目を遣る。
師匠のことだ、まず間違いなく死んではいないと思うけれど…
「肝心な時にこうなんだからもおお…役立たず!」
ルシルはため息をついてフライ返しを地面に置くと、両手を上げて降参のポーズをとった。
魔法使いは顔面蒼白で叫び声をあげた。
「そんで、その手紙読んで亜人探偵はジェラルドが実の父親だって知ってしまうんです」
「わーばかな~。ジェラルドが親父だったなんて…ぐっはあ…どうなんのよそれー。親子対決~?」
ルシルから、昨夜読んだ探偵小説のあらすじを聞きながら歩いているうちに、いつの間にか魔法使いはカノンで追いかけた混沌の道の終わりまでたどり着いていた。
森の中にはそぐわない発煙筒の行列のあと、神様の彫刻付きの真っ白い十字架が、どん、と2本地面に突き立っていて、それを最後にカノンは途絶えている。
「ここで終わりですね」
「…うーん、じゃあこっからまた続きやろっか」
魔法使いは懐から針ケースを取りだす。
と、その時。
「先生危ないッ!」
弟子が叫んで魔法使いに思いきり蹴りを入れた。
「いったああああ!何すんのルシ……」
驚いて振り返った魔法使いの頭を、飛んできた矢が真横から貫いた。
「みぎゃっ」
そのまま昏倒してしまった魔法使いに、ルシルは慌てて駆け寄った。
「あ、すみません、タイミングを間違えました。ワザとじゃないですよ…あ、あれっ?先生?」
頬を張り飛ばすが反応がない。
「え…死んだ?まさか矢はだめとか?先生、先生!?」
魔法使いの体を揺さぶったり蹴ったりしていると、背後の藪が微かに音をたてた。何者かの気配。
ルシルは、抱えていた師匠の頭を地面に落とすと、念のために背嚢からフライ返しを抜いて握り締めた。
「出てきて下さい…矢を放ったのはあなたですか?」
藪に向かって問いかける。すると
「いいえ」
透き通るような声。髪の長い、華奢な女性が姿を現した。尖った耳、不思議な素材の装束、目の色などを見るまでもなく、ルシルには直ぐわかった。人間ではない。女はエルフ、であった。
「あの辺の誰かです」
女が指し示した茂みから、幾人ものエルフ達が立ち上がる。手に手に武器を持っていた。
あ、絶対無理。フライ返しで撃退できる人数超えてる。
ルシルは未だ目を覚まさない魔法使いに目を遣る。
師匠のことだ、まず間違いなく死んではいないと思うけれど…
「肝心な時にこうなんだからもおお…役立たず!」
ルシルはため息をついてフライ返しを地面に置くと、両手を上げて降参のポーズをとった。
第27話 お題:混血
先頭を歩く女エルフが手をかざすと、木々が道を空けるように幹をくねらせ、開けた空間が現れた。巨木を祀った広場を囲んで小さな家々が、円を描く茸のように並んでいる。エルフの集落であった。
ルシルは両の手を縄で括られて連行された。魔法使いはというと、どうやら死体と思われているらしく、袋のようなものに入れられ、野菜くずなどと一緒に集落の端っこのゴミ置き場ふうの場所に捨て置かれている。
えらいことになってしまった…
エルフ達は、ため息をつくルシルを集落の真ん中にそびえた巨大な樫の木に縛り付けた。鳥の羽のようなものをまとった女エルフが、至近距離から弓矢でルシルの首を狙いながら告げる。
「あなた方は始祖神様を汚しましたね…なぜそんな事をするのです。悪魔に操られているのなら、今すぐ正体を見せなさい」
「あの。何か勘違いされていると思うのですが。私と先生は人を探していただけで、」
ルシルの言葉を女は遮り、矢の先で頬をチクチク突っついた。
「ヘーイ嘘はやめなさい。あの男のようになりたくなければ」
女の指し示す、死体然とした師匠の姿を見て弟子は、いや、死んでないんだけどね、と思ったがそれは言わずにおく。
「嘘じゃないですよ。女性を探しています。見ませんでしたか?髪二つ結びで…常軌を逸した言動をする美人さんなんですが」
「とぼけてんじゃないですよ。おい、お前らが"神の道すじ"をふざけて叩いたり蹴ったりしながら辿ってたの見てんですよ?コラ」
と言って、女の隣にいたきつい目の若いエルフが凄む。それでルシルは漸く合点がいった。
「ああ、"神の道すじ"って、あれですか?バナナとか発煙筒とかお地蔵様とかの…あれ、うちの先生の魔法ですよ」
「ヘーイ嘘つき!」
後方のエルフが太鼓のようなものを叩いて威嚇(?)した。
「あんな魔法は無いです」
鳥の羽女がまた矢で突っつく。彼らの頑なな態度を見て、クォーターエルフであるルシルはふと、純粋エルフだった祖母の事を思い出した。
「おばあちゃんなにしてんの」
幼いルシルは祖母に尋ねた。
「下がってなさいルシル!魔物を追っ払ってるんですよっ。死ねェエエ!」
息を切らしながら祖母はホウキで魔物をボコボコにぶち壊し、更に魔法で爆破、その破片をも氷付けにしていた。
幼いルシルは言えなかった。
ああ…おばあちゃん…それは魔物ではなく、鳩時計というんです…
とは。
エルフは賢く、魔法の力にも長けた種族である。だが山や森で排他的な集落を形成している一族も多い。そういった一族は見たことのないものを、神或いは魔物の作り出したものと理解するのが常だ。これは人間でも同じ事だが、今ある知識で理解できないものを畏怖する感情は、もともとの知識が深ければ深いほど強いようである。ましてエルフは総じて非常に頑固な気質を持っている。クォーターながら、自身もその血を継承しているルシルは、頭が痛くなった。
「ええ…まあ、先生の魔法はすごく特殊なものですから、そう思われるのも無理ないのですが…」
やはりと言うべきか、ルシルの説明をエルフ達は一切聞こうとしない。
「ごまかすな。あれは始祖神様がお通りになられた後に現れたのです。あれは聖痕です、我々はこの目で見たのです」
「始祖様は言いました…追うものは破壊しろ、と」
「同族の血が混じる者であろうとも我々は容赦しません、アンダスタン?」
この状況においての笛や太鼓での威嚇には効果がある。ルシルの背中に冷たいものが走った。
やばい、お話通じそうにないな…おばあちゃんと一緒だ。
「もう一度聞きます。お前達は誰の手先ですか」
鳥の羽女の目は、かつての祖母と同じ。本気である。
「まいったなーもう…」
ルシルの呟きを聞き、答える気がないと判断したのか、女は弓を引き絞った。
と、その時
「ワアアアアアーー!」
背後で悲鳴があがる。
「何?」
女が振り返ると同時に、ゴミ置き場のそばにいた若いエルフが再び悲鳴をあげた。
「ユーなんで生きてんですかああああーーー!」
「く…くらい…見えない…なにこれ袋!?袋!?なぜぇええ!あけてぇえ!こわいぃい」
ゴミ置き場から転がった拍子に袋から魔法使いの頭が飛び出た。矢は刺さったままである。周囲のエルフ達が全員で弓矢を構えて取り囲んだ。
「あれ?…え?……え、なんかわかんないけど…スミマ…セ…ン?」
魔法使いはとりあえず謝っておいた。
「ヘイちょっと!なんで生きてんですかアレは!」
鳥の羽を揺らしながら叫ぶ女に、ルシルは言った。
「えーっと…とりあえず、まず私の説明ちゃんと聞いてくれます?…先生はああ見えて世界最高の魔法使いなんで、妙な動きをした場合、この集落は一瞬で森ごとなくなります」
落ち着き払った口調には真実味があった。女は唾を飲み込んで、矢の刺さった猫背の魔法使いを振り返る。
「…え……え、へ?」
魔法使いは、涙目のまま、へらっと曖昧な笑顔を浮かべた。
ルシルは両の手を縄で括られて連行された。魔法使いはというと、どうやら死体と思われているらしく、袋のようなものに入れられ、野菜くずなどと一緒に集落の端っこのゴミ置き場ふうの場所に捨て置かれている。
えらいことになってしまった…
エルフ達は、ため息をつくルシルを集落の真ん中にそびえた巨大な樫の木に縛り付けた。鳥の羽のようなものをまとった女エルフが、至近距離から弓矢でルシルの首を狙いながら告げる。
「あなた方は始祖神様を汚しましたね…なぜそんな事をするのです。悪魔に操られているのなら、今すぐ正体を見せなさい」
「あの。何か勘違いされていると思うのですが。私と先生は人を探していただけで、」
ルシルの言葉を女は遮り、矢の先で頬をチクチク突っついた。
「ヘーイ嘘はやめなさい。あの男のようになりたくなければ」
女の指し示す、死体然とした師匠の姿を見て弟子は、いや、死んでないんだけどね、と思ったがそれは言わずにおく。
「嘘じゃないですよ。女性を探しています。見ませんでしたか?髪二つ結びで…常軌を逸した言動をする美人さんなんですが」
「とぼけてんじゃないですよ。おい、お前らが"神の道すじ"をふざけて叩いたり蹴ったりしながら辿ってたの見てんですよ?コラ」
と言って、女の隣にいたきつい目の若いエルフが凄む。それでルシルは漸く合点がいった。
「ああ、"神の道すじ"って、あれですか?バナナとか発煙筒とかお地蔵様とかの…あれ、うちの先生の魔法ですよ」
「ヘーイ嘘つき!」
後方のエルフが太鼓のようなものを叩いて威嚇(?)した。
「あんな魔法は無いです」
鳥の羽女がまた矢で突っつく。彼らの頑なな態度を見て、クォーターエルフであるルシルはふと、純粋エルフだった祖母の事を思い出した。
「おばあちゃんなにしてんの」
幼いルシルは祖母に尋ねた。
「下がってなさいルシル!魔物を追っ払ってるんですよっ。死ねェエエ!」
息を切らしながら祖母はホウキで魔物をボコボコにぶち壊し、更に魔法で爆破、その破片をも氷付けにしていた。
幼いルシルは言えなかった。
ああ…おばあちゃん…それは魔物ではなく、鳩時計というんです…
とは。
エルフは賢く、魔法の力にも長けた種族である。だが山や森で排他的な集落を形成している一族も多い。そういった一族は見たことのないものを、神或いは魔物の作り出したものと理解するのが常だ。これは人間でも同じ事だが、今ある知識で理解できないものを畏怖する感情は、もともとの知識が深ければ深いほど強いようである。ましてエルフは総じて非常に頑固な気質を持っている。クォーターながら、自身もその血を継承しているルシルは、頭が痛くなった。
「ええ…まあ、先生の魔法はすごく特殊なものですから、そう思われるのも無理ないのですが…」
やはりと言うべきか、ルシルの説明をエルフ達は一切聞こうとしない。
「ごまかすな。あれは始祖神様がお通りになられた後に現れたのです。あれは聖痕です、我々はこの目で見たのです」
「始祖様は言いました…追うものは破壊しろ、と」
「同族の血が混じる者であろうとも我々は容赦しません、アンダスタン?」
この状況においての笛や太鼓での威嚇には効果がある。ルシルの背中に冷たいものが走った。
やばい、お話通じそうにないな…おばあちゃんと一緒だ。
「もう一度聞きます。お前達は誰の手先ですか」
鳥の羽女の目は、かつての祖母と同じ。本気である。
「まいったなーもう…」
ルシルの呟きを聞き、答える気がないと判断したのか、女は弓を引き絞った。
と、その時
「ワアアアアアーー!」
背後で悲鳴があがる。
「何?」
女が振り返ると同時に、ゴミ置き場のそばにいた若いエルフが再び悲鳴をあげた。
「ユーなんで生きてんですかああああーーー!」
「く…くらい…見えない…なにこれ袋!?袋!?なぜぇええ!あけてぇえ!こわいぃい」
ゴミ置き場から転がった拍子に袋から魔法使いの頭が飛び出た。矢は刺さったままである。周囲のエルフ達が全員で弓矢を構えて取り囲んだ。
「あれ?…え?……え、なんかわかんないけど…スミマ…セ…ン?」
魔法使いはとりあえず謝っておいた。
「ヘイちょっと!なんで生きてんですかアレは!」
鳥の羽を揺らしながら叫ぶ女に、ルシルは言った。
「えーっと…とりあえず、まず私の説明ちゃんと聞いてくれます?…先生はああ見えて世界最高の魔法使いなんで、妙な動きをした場合、この集落は一瞬で森ごとなくなります」
落ち着き払った口調には真実味があった。女は唾を飲み込んで、矢の刺さった猫背の魔法使いを振り返る。
「…え……え、へ?」
魔法使いは、涙目のまま、へらっと曖昧な笑顔を浮かべた。
第28話 お題:運命の神
30分後。エルフの集落にはアロマキャンドルとピップエレキバンと靴の中底シートが降り積もり、ひどい有り様になっていた。無論やったのは魔法使いである。そこまでしてようやく、「神の道すじ」が魔法使いの魔法によるものだとエルフ達は理解したのだった。
「わかりました。神の道すじはあなたの魔法だとしましょう、しかしその魔法が始祖神様の通り道を辿っていたのは何故なのです」
鳥の羽を纏ったエルフが、隙間なくエレキバンの貼りついたままになっている顔を不審げに歪めて問う。先刻縄を解かれたルシルは、魔法使いと顔を見合わせてから、質問に質問を返した。
「えーと…その始祖神様、本当に神様でしたか?髪ふたつ結びで、奇声をあげたり、或いはドラゴンを頭からかじったりしてませんでした?」
女は
「神はどんな姿ででも現れます。まして始祖神が竜を食らうのは、おかしくも何ともない当然のことではありませんか」
そう言って頷いた。
うっわーやっぱりだ。神様扱いされちゃってるよ花売りさん…
「いや、それあの…知人です、多分…」
魔法使いが怖ず怖ずと口を挟むが、エルフ達はもちろん
「あんな人間はいません」
の一点張り。確かにそれについては反論のしようがない。何だかもう色々と面倒臭い気分になったルシルは、
「ああじゃあもう神様でいいです、この際。私達はその神様を探しています。見かけたんですよね?どこに行ったかご存知ないですか?」
と尋ねた。
「その前に我々の質問に答えなさい。あなた達は、なぜ始祖神様を探しているのです。敵なのですか、始祖神様を追う」
エレキバンだらけではあるが厳しい顔つきで女エルフが言う。それに対してルシルはこう答えた。
「いえ。うちの先生が神様を好きなのです。ぶっちゃけつきあいたいらしいので、」
エルフの集落の真ん中で魔法使いの個人情報がおもむろにぶちまけられた。
「ギャアアアアななななにばらしてんだよばかああああ!つうか、ちが、待っ、そん、」
慌てて首を振る魔法使いをエルフ達は、一瞬の間ののち、気の毒そうな目で見つめた。
うっわあ…無理だろ
とでもいいたげな視線を八方から浴びて、魔法使いは10分前まで矢の刺さっていた頭から血が吹き出そうな気分になった。というか、吹き出た。
「ですから敵ではないのです。可哀想な先生に協力してあげてくれませんか…たとえ…ふられる運命だとしても…」
「やめてルシルお願いだから暗い顔でふられるとか言わないでくれる!?ねえ、あと、師匠のプライバシーが大侵害されてますよ!ねえ!」
「そういう事でしたか…わかりました…いいでしょう…」
ルシルの言葉に女エルフはゆっくりと頷き、泣き叫ぶ魔法使いの肩をぽんと叩いた。
「我々の一族に昔から伝わる言葉があります…」
「え…?」
「ふられて…BAN☆ZAI」
女の言葉の直後、他のエルフ達が笛や太鼓を鳴らした。
「BAN☆ZAIじゃないよやめてよまだ告ってもないんだからやめてよわあああん!」
耳を塞ぐ魔法使いと若干笑いをこらえるルシルを引っ張って、エルフ達は集落の最奥に位置する洞窟へと連れてきた。洞窟の入り口には祭儀的な文様のあしらわれた布がかかっている。
「第一目撃者は長老です。祖神様について詳しいことは長老にお聞きなさい。そう…たとえ…ふられるんだとしても…前に進むための努力とかは大事なことですから…」
女エルフは目をそらしながらそう言い残すと、他のエルフ達と共に洞窟を出て行った。振り返って励ますように親指を立ててから行く者もあって、魔法使いはその精神的ダメージに胸を押さえた。
「…ルシル…先生すっごい傷ついた…」
「悪かったとは思っています、今夜は先生の好きなクレームブリュレを作りますから。さ、ほらハナ拭いて。行きましょう」
2人はエルフの長老に会うため、文様の簾をくぐって奥へと進んだ。
「わかりました。神の道すじはあなたの魔法だとしましょう、しかしその魔法が始祖神様の通り道を辿っていたのは何故なのです」
鳥の羽を纏ったエルフが、隙間なくエレキバンの貼りついたままになっている顔を不審げに歪めて問う。先刻縄を解かれたルシルは、魔法使いと顔を見合わせてから、質問に質問を返した。
「えーと…その始祖神様、本当に神様でしたか?髪ふたつ結びで、奇声をあげたり、或いはドラゴンを頭からかじったりしてませんでした?」
女は
「神はどんな姿ででも現れます。まして始祖神が竜を食らうのは、おかしくも何ともない当然のことではありませんか」
そう言って頷いた。
うっわーやっぱりだ。神様扱いされちゃってるよ花売りさん…
「いや、それあの…知人です、多分…」
魔法使いが怖ず怖ずと口を挟むが、エルフ達はもちろん
「あんな人間はいません」
の一点張り。確かにそれについては反論のしようがない。何だかもう色々と面倒臭い気分になったルシルは、
「ああじゃあもう神様でいいです、この際。私達はその神様を探しています。見かけたんですよね?どこに行ったかご存知ないですか?」
と尋ねた。
「その前に我々の質問に答えなさい。あなた達は、なぜ始祖神様を探しているのです。敵なのですか、始祖神様を追う」
エレキバンだらけではあるが厳しい顔つきで女エルフが言う。それに対してルシルはこう答えた。
「いえ。うちの先生が神様を好きなのです。ぶっちゃけつきあいたいらしいので、」
エルフの集落の真ん中で魔法使いの個人情報がおもむろにぶちまけられた。
「ギャアアアアななななにばらしてんだよばかああああ!つうか、ちが、待っ、そん、」
慌てて首を振る魔法使いをエルフ達は、一瞬の間ののち、気の毒そうな目で見つめた。
うっわあ…無理だろ
とでもいいたげな視線を八方から浴びて、魔法使いは10分前まで矢の刺さっていた頭から血が吹き出そうな気分になった。というか、吹き出た。
「ですから敵ではないのです。可哀想な先生に協力してあげてくれませんか…たとえ…ふられる運命だとしても…」
「やめてルシルお願いだから暗い顔でふられるとか言わないでくれる!?ねえ、あと、師匠のプライバシーが大侵害されてますよ!ねえ!」
「そういう事でしたか…わかりました…いいでしょう…」
ルシルの言葉に女エルフはゆっくりと頷き、泣き叫ぶ魔法使いの肩をぽんと叩いた。
「我々の一族に昔から伝わる言葉があります…」
「え…?」
「ふられて…BAN☆ZAI」
女の言葉の直後、他のエルフ達が笛や太鼓を鳴らした。
「BAN☆ZAIじゃないよやめてよまだ告ってもないんだからやめてよわあああん!」
耳を塞ぐ魔法使いと若干笑いをこらえるルシルを引っ張って、エルフ達は集落の最奥に位置する洞窟へと連れてきた。洞窟の入り口には祭儀的な文様のあしらわれた布がかかっている。
「第一目撃者は長老です。祖神様について詳しいことは長老にお聞きなさい。そう…たとえ…ふられるんだとしても…前に進むための努力とかは大事なことですから…」
女エルフは目をそらしながらそう言い残すと、他のエルフ達と共に洞窟を出て行った。振り返って励ますように親指を立ててから行く者もあって、魔法使いはその精神的ダメージに胸を押さえた。
「…ルシル…先生すっごい傷ついた…」
「悪かったとは思っています、今夜は先生の好きなクレームブリュレを作りますから。さ、ほらハナ拭いて。行きましょう」
2人はエルフの長老に会うため、文様の簾をくぐって奥へと進んだ。
第29話 お題:足跡
中途半端な量の白い髭をたくわえた小柄なエルフの長老は、ルシルの説明を黙って聞いていた。聞き終わると、魔法使いをなま悲しげな顔で見つめ、無駄に厳かな声で告げた。
「そうか…なるほど…ではお話しましょう…例えふられるのだとしても」
またもプライバシーを暴露され、またもフラれ前提の同情を買い、もはやニヒルな心持ちになってきた魔法使いが、
「わーい魔法使いの師匠に人権ってものはなかったんだネ。先生そんな事全然知らなかったヨー。勉強になァるゥ」
などと虚ろな目で呟いていたが、ルシルはそれを無視して長老に話を続けるよう頼んだ。長老はゆっくりと頷くと、厳かに話を始めた。
「あれは一昨日の夜の事だった…」
老エルフが目撃した光景とは、次のようなものであった。
その時、長老は明日の天気とラッキーアイテムを占うため、集落を出て森を散策していた。森の大気に含まれる神々の脈動を感じ、それによって精神を集中させてから占いを執り行うのが村のならわしなのである。フィトンチットをスーハー吸い込んで若干癒やされモードに入っていた長老だったが、突然耳に飛び込んできた奇怪ながなり声に、寿命が1年くらい縮んだ。
「ギャハハハハ!これ意外と楽しいわーーッ!!」
恐る恐る草陰から覗いて見ると、女の姿をした獣のようなものが猛スピードで側転しながらドラゴンを追いかけていた。
「ひッ…」
恐ろしさのあまり長老の口から漏れた微かな悲鳴に、女は振り返った。
「あっ!」
長老は女の、そのあまりに意外な美しさに度肝を抜かれた。女は異常な素早さでドラゴンを見もせずに捕獲、こちらを向いたまま大股で近づいてくる。逃げることも出来なかった。女の顔が長老の顔に触れそうなほど近づく。
大きな目玉。
「なんのつもりなのよこれぇええーーッ!アタシにもよこせーー!!!」
女は勢い良く長老のひげをむしった。
「な…るほどゥフッ…それでひげが…」
ルシルは笑いをこらえているのがバレぬように、下を向いてそう言った。魔法使いに至っては我慢できずあからさまに噴き出している。
「その通りじゃ…」
長老はなぜか満足げに頷き、先を続けた。
女は長老からむしったひげを自分の顔に付けた。そうして
「やったーーーッ!!」
と雄叫びをあげたかと思うと、生のドラゴンをまるかじり、牙と目玉を長老の顔に向けてぶべっと吐き出した。
瞬間。長老は、有り得ないことに気づき、戦慄する。
な…なんと!これは…。
長老は、女の吐き出した食べかすの中に、神の脈動をすごく感じたのだった。普段森を散策する際に感じるよりも、ずっと濃厚な、むせかえるような神の気配。それも、尋常なく古い古い、太古の神のものだった。
それ単に生臭かっただけじゃないの。
と顔に書いてある魔法使いとその弟子を眺め、長老は咳払いをひとつ。
「いや、本当なのだよ…まじ、わしエルフの長老だから判るし」
長老は、その古い神の匂いのする女を集落に招いた。
「もっとないの!ほかの色あるっ!?」
と、ぎらぎらした目つきでひげを凝視してくる神に早く別の生贄を与えなければ、自分のひげは残らずむしられてしまうに違いない。そう思ったからだった。
「ぱ…パステルカラーならだいたい揃っておりますじゃ。集落に来ていただければ、」
「パステル!?いくわッ!!」
そのようないきさつで、始祖神の化身はエルフの集落にやってきたのだった。
「じゃあここに居たんですか、彼女」
魔法使いは身を乗り出す。
「おられたよ。昨日の夜中まで。村中の男たちのひげをむしってご自分の顔に貼り付けて、ご満悦の様子だったのだが、真夜中になって突然、いっけねええグッチョがくるんだったグッチョがー!うぜえええ!と叫んで祭壇から駆け出し、そのまま居なくなってしまったのじゃ」
長老は淋しげにひげをなでた。
「………」
魔法使いとルシルは、間接的にとは言え二日ぶりに触れる花売りの言動の破壊力に、改めて打ちのめされてしまい、思いを言葉に出すこと適わなかった。だが顔を見合わせた2人はお互いの考えている事が手に取るように判った。
い…意味わかんない…てゆか、
グッチョって誰ーー!!
「そうか…なるほど…ではお話しましょう…例えふられるのだとしても」
またもプライバシーを暴露され、またもフラれ前提の同情を買い、もはやニヒルな心持ちになってきた魔法使いが、
「わーい魔法使いの師匠に人権ってものはなかったんだネ。先生そんな事全然知らなかったヨー。勉強になァるゥ」
などと虚ろな目で呟いていたが、ルシルはそれを無視して長老に話を続けるよう頼んだ。長老はゆっくりと頷くと、厳かに話を始めた。
「あれは一昨日の夜の事だった…」
老エルフが目撃した光景とは、次のようなものであった。
その時、長老は明日の天気とラッキーアイテムを占うため、集落を出て森を散策していた。森の大気に含まれる神々の脈動を感じ、それによって精神を集中させてから占いを執り行うのが村のならわしなのである。フィトンチットをスーハー吸い込んで若干癒やされモードに入っていた長老だったが、突然耳に飛び込んできた奇怪ながなり声に、寿命が1年くらい縮んだ。
「ギャハハハハ!これ意外と楽しいわーーッ!!」
恐る恐る草陰から覗いて見ると、女の姿をした獣のようなものが猛スピードで側転しながらドラゴンを追いかけていた。
「ひッ…」
恐ろしさのあまり長老の口から漏れた微かな悲鳴に、女は振り返った。
「あっ!」
長老は女の、そのあまりに意外な美しさに度肝を抜かれた。女は異常な素早さでドラゴンを見もせずに捕獲、こちらを向いたまま大股で近づいてくる。逃げることも出来なかった。女の顔が長老の顔に触れそうなほど近づく。
大きな目玉。
「なんのつもりなのよこれぇええーーッ!アタシにもよこせーー!!!」
女は勢い良く長老のひげをむしった。
「な…るほどゥフッ…それでひげが…」
ルシルは笑いをこらえているのがバレぬように、下を向いてそう言った。魔法使いに至っては我慢できずあからさまに噴き出している。
「その通りじゃ…」
長老はなぜか満足げに頷き、先を続けた。
女は長老からむしったひげを自分の顔に付けた。そうして
「やったーーーッ!!」
と雄叫びをあげたかと思うと、生のドラゴンをまるかじり、牙と目玉を長老の顔に向けてぶべっと吐き出した。
瞬間。長老は、有り得ないことに気づき、戦慄する。
な…なんと!これは…。
長老は、女の吐き出した食べかすの中に、神の脈動をすごく感じたのだった。普段森を散策する際に感じるよりも、ずっと濃厚な、むせかえるような神の気配。それも、尋常なく古い古い、太古の神のものだった。
それ単に生臭かっただけじゃないの。
と顔に書いてある魔法使いとその弟子を眺め、長老は咳払いをひとつ。
「いや、本当なのだよ…まじ、わしエルフの長老だから判るし」
長老は、その古い神の匂いのする女を集落に招いた。
「もっとないの!ほかの色あるっ!?」
と、ぎらぎらした目つきでひげを凝視してくる神に早く別の生贄を与えなければ、自分のひげは残らずむしられてしまうに違いない。そう思ったからだった。
「ぱ…パステルカラーならだいたい揃っておりますじゃ。集落に来ていただければ、」
「パステル!?いくわッ!!」
そのようないきさつで、始祖神の化身はエルフの集落にやってきたのだった。
「じゃあここに居たんですか、彼女」
魔法使いは身を乗り出す。
「おられたよ。昨日の夜中まで。村中の男たちのひげをむしってご自分の顔に貼り付けて、ご満悦の様子だったのだが、真夜中になって突然、いっけねええグッチョがくるんだったグッチョがー!うぜえええ!と叫んで祭壇から駆け出し、そのまま居なくなってしまったのじゃ」
長老は淋しげにひげをなでた。
「………」
魔法使いとルシルは、間接的にとは言え二日ぶりに触れる花売りの言動の破壊力に、改めて打ちのめされてしまい、思いを言葉に出すこと適わなかった。だが顔を見合わせた2人はお互いの考えている事が手に取るように判った。
い…意味わかんない…てゆか、
グッチョって誰ーー!!
第30話(前編) お題:醜い鳥
花売りが祀られていたという、とっ散らかった祭壇の跡をぼんやり眺め、魔法使いはため息をひとつ。そして
「…ひげかァ…」
顎をなでた。
「えっ」
ルシルがその発言に振り返る。
え、まさか、生やしたいんですか?そして、むしられたいんですか…?
さすがにかける言葉が見つからなかったので、ルシルは咳払いをして別の問題を口に出した。
「それにしても、グッチョですよ。謎なのは。…花売りさんがいなくなったのはグッチョ(仮)のせいなんでしょうかね」
「グッチョ(仮)ねえ…誰なんだろう…」
「可能性として、考えられるのは、…あの侯爵の召使いです」
弟子の挙げた名に魔法使いは首を傾げる。
「でもお姉さんはご令嬢じゃないんだから、あの召使いの事は知らないはずだろ」
「そこですよ」
ルシルは声をひそめた。
「本当に、関係ないんでしょうか?あの召使い、行動が不自然なんですよ…嘘をついていたのかもしれない」
「不自然?」
「古い絵しかないのなら現在の年齢は何歳くらい、とか説明するでしょ、普通」
「あ、そうか」
「あくまでも推測ですけれど…召使い、はやっぱり花売りさんを探しているんではないでしょうか。ご令嬢云々とは別の理由で。そして花売りさんはそれに気づいて、逃げた。召使い、いや、グッチョに見つかるのが嫌で…。亜人探偵シリーズにもそんな筋書きの話があります」
「………」
魔法使いは、ルシルの組み立てた推理に、何かいやな予感めいたものを感じて黙り込んだ。昼間だというのに灰色の雲が空を覆い始め、軽く吹いてきた冷たい風に、2人は腕をさする。
「ひと雨きますかね…」
ルシルが普段より少し硬い調子で呟いた時、はるか上空を黒い鳥が横切って行った。
「…ひげかァ…」
顎をなでた。
「えっ」
ルシルがその発言に振り返る。
え、まさか、生やしたいんですか?そして、むしられたいんですか…?
さすがにかける言葉が見つからなかったので、ルシルは咳払いをして別の問題を口に出した。
「それにしても、グッチョですよ。謎なのは。…花売りさんがいなくなったのはグッチョ(仮)のせいなんでしょうかね」
「グッチョ(仮)ねえ…誰なんだろう…」
「可能性として、考えられるのは、…あの侯爵の召使いです」
弟子の挙げた名に魔法使いは首を傾げる。
「でもお姉さんはご令嬢じゃないんだから、あの召使いの事は知らないはずだろ」
「そこですよ」
ルシルは声をひそめた。
「本当に、関係ないんでしょうか?あの召使い、行動が不自然なんですよ…嘘をついていたのかもしれない」
「不自然?」
「古い絵しかないのなら現在の年齢は何歳くらい、とか説明するでしょ、普通」
「あ、そうか」
「あくまでも推測ですけれど…召使い、はやっぱり花売りさんを探しているんではないでしょうか。ご令嬢云々とは別の理由で。そして花売りさんはそれに気づいて、逃げた。召使い、いや、グッチョに見つかるのが嫌で…。亜人探偵シリーズにもそんな筋書きの話があります」
「………」
魔法使いは、ルシルの組み立てた推理に、何かいやな予感めいたものを感じて黙り込んだ。昼間だというのに灰色の雲が空を覆い始め、軽く吹いてきた冷たい風に、2人は腕をさする。
「ひと雨きますかね…」
ルシルが普段より少し硬い調子で呟いた時、はるか上空を黒い鳥が横切って行った。
第30話(後編) お題:醜い鳥
一方その頃。
「温厚な人間でも一週間睡眠をとらないと凶暴な性格になり、それも一度そうなると一生もとに戻らないのだそうだ」
「だから何なんだチクショー!つーかだったら俺に謝れよっ!てめえだけ寝やがって、同じこと繰り返したらぶっ殺すぞ!だいたいてめえは何なんだ棺桶なんか持って……」
昨晩やたらと襲ってくる魔物を相手にしていたため一睡もしていないアドルカンは、錬金術師の全く悪びれない態度に苛々と文句をまくし立てたが
「…もともと温厚でない人間で同じ実験をしたら、温厚になるのだろうか、それとも更に凶暴になるのだろうか?…君はどう思う」
そんな事を言って銀水晶を眺め回す当の錬金術師は全く意に介する様子が無いので、くだらなくなってじきにやめた。
「知るかよ…くそ…」
アドルカンは唇を噛む。いつまでこんな事を続けなくてはならないのだろうか。そう言えばまだ依頼の前金すら受け取っていないではないか。
「おい!爺ィ!」
口を開いた途端、錬金術師がそれを片手で制した。
「言わんとする事はわかっている…金だろう?安心したまえ。たった今、届いた」
ばさばさと羽ばたく音と共に、頭上の枝葉を抜けて黒い鳥が舞い降りた。否、鳥ではない。黒い鶏の体に蝙蝠の翼、蛇の尾を持つ幻獣コカトリスである。
「おかえり。私のかわいいオールビイ」
錬金術師の声に甘えるような鳴き声を上げながら、コカトリスはアドルカンの頭の上に着地した。
ざくっ
「いっ…てェエエーッ!おかえりじゃねえよテメエどけろこれェエエ!爪が!爪がッ!」
もがくアドルカンの顔面に爪を食い込ませたコカトリスは、チョコンと頭を低くして、首にかけていた皮袋を地面に落とした。
「…随分と気前のいいものだな」
皮袋を覗いた錬金術師はつまらなそうに呟いたあと、中から手紙だけを取り出し、まだじゃらりと重さのある袋をアドルカンにそっくり手渡した。
「好きなだけ取りたまえ」
「あァ?」
やっとのことで顔面からコカトリスを引き剥がしたアドルカンは、皮袋の中身を見て思わず妙な声を出してしまった。
「何だこれ…爺ィ、テメエ正気か…?」
皮袋に大量に入っていたのは、ジェニー・ハニヴァーの眼、と呼ばれる宝石だった。小指の爪ほどの小さな石1つで、500万ベリトはするという大変な代物である。総額で一体幾らになるのか、卒業以来、仕事に関して不遇の時代が続いていたアドルカンには想像もつかなかったが、少なくとも、乾燥モノでないヒュドラも好きなだけ買え、銀水晶も新調、杖磨き、高級ローブ、中古のレアもの幻音盤(レコード)を好きなだけ買ったってまだお釣りが来るであろう事は確かだった。もちろん喉から手がでるほど、欲しい。だがアドルカンは、ここでこれに手を出したら錬金術師の言いなりにならざるを得ない、という事に気づいていた。この錬金術師の犬のような立場を完全に容認するというのは、どうしても、アドルカンのプライドが許さなかった。
「…うぐ…せ、成功報酬が俺のやり方だ。金は仕事が完了した時、受け取るっつうの…」
今すぐ袋を抱えて中古幻音盤屋に走り、C.O.M(ケルベロス・オルトロス・アンド・ミノタウロス)のニューアルバム"咆哮"をゲットして、あの攻撃的なベースラインにどっぷり浸かりたいぜクソッタレ、軟弱な腐れポップスも堕落した青春パンクもひれ伏すがいい!ジャズは凶器なんだよォオオ!という衝動を必死に堪えてそう告げた。
が、
返事がない。
錬金術師は、手紙を睨みつけて例の狐のような険しい目をしていて。アドルカンはその気味の悪い目玉の中に一瞬、微かな怒りを見たような気がした。
「…………」
錬金術師は手のひらの上に緑色の炎を燃やし、一瞬で手紙を灰にした。
「ガスパール君」
唐突に名前を呼ばれてアドルカンは片目を眇める。いやな予感がした。
「何だよ」
「君にもう一つ仕事を依頼したいのだが、引き受けてくれるね」
錬金術師は泡立つ液体の入った小瓶から、繊細な模様の義眼を取り出しながら告げた。その、まるで断る筈がないとでも思っているかのような物言いに、アドルカンは、クッと舌打ちした。
「断る。言ったはずだ。俺は雑用係じゃねえ。魔法使いとしての仕事以外は、一切やるつもりはねえ」
妙な機械を見張ったりするようなくだらない用事を押し付けるつもりなら、今度こそ殺す、というニュアンスを込めたアドルカンの刺すような視線を、錬金術師は軽く受け流し、
「雑務の類ではない」
「じゃ、何だよ」
「今から、ある場所に圧力をかけに行かねばならなくなった。平たく言えば、脅迫だ。君には用心棒として後ろについていてもらいたい。そういう仕事の経験は、あるかね?」
しれっと言い放った。
「あァ?」
脅迫?いきなり何言ってんだこの爺ィ。
「意味わかんねえ。誰を脅迫すんだよ。つーかロシエールは!追わなくていいのかよっ」
「後回しだ。問題ない。動きがあれば蜘蛛が知らせてくる事になっている」
錬金術師が指を鳴らすと、アドルカンの足元で土を掘っていたコカトリスのオールビィが頭をもたげた。蝙蝠の翼を広げるのと同時にむくむくと膨れ上がって翼竜ほどの大きさになったオールビィに、錬金術師は飛び乗る。
「急いでくれたまえ」
巨大なコカトリスは羽ばたいて浮き上がった。
「ちょ、待てこらっ!ふつう俺も乗せるだろ!?」
アドルカンは空中から黒檀の箒を取り出し、慌てて錬金術師の後を追いかけた。
「温厚な人間でも一週間睡眠をとらないと凶暴な性格になり、それも一度そうなると一生もとに戻らないのだそうだ」
「だから何なんだチクショー!つーかだったら俺に謝れよっ!てめえだけ寝やがって、同じこと繰り返したらぶっ殺すぞ!だいたいてめえは何なんだ棺桶なんか持って……」
昨晩やたらと襲ってくる魔物を相手にしていたため一睡もしていないアドルカンは、錬金術師の全く悪びれない態度に苛々と文句をまくし立てたが
「…もともと温厚でない人間で同じ実験をしたら、温厚になるのだろうか、それとも更に凶暴になるのだろうか?…君はどう思う」
そんな事を言って銀水晶を眺め回す当の錬金術師は全く意に介する様子が無いので、くだらなくなってじきにやめた。
「知るかよ…くそ…」
アドルカンは唇を噛む。いつまでこんな事を続けなくてはならないのだろうか。そう言えばまだ依頼の前金すら受け取っていないではないか。
「おい!爺ィ!」
口を開いた途端、錬金術師がそれを片手で制した。
「言わんとする事はわかっている…金だろう?安心したまえ。たった今、届いた」
ばさばさと羽ばたく音と共に、頭上の枝葉を抜けて黒い鳥が舞い降りた。否、鳥ではない。黒い鶏の体に蝙蝠の翼、蛇の尾を持つ幻獣コカトリスである。
「おかえり。私のかわいいオールビイ」
錬金術師の声に甘えるような鳴き声を上げながら、コカトリスはアドルカンの頭の上に着地した。
ざくっ
「いっ…てェエエーッ!おかえりじゃねえよテメエどけろこれェエエ!爪が!爪がッ!」
もがくアドルカンの顔面に爪を食い込ませたコカトリスは、チョコンと頭を低くして、首にかけていた皮袋を地面に落とした。
「…随分と気前のいいものだな」
皮袋を覗いた錬金術師はつまらなそうに呟いたあと、中から手紙だけを取り出し、まだじゃらりと重さのある袋をアドルカンにそっくり手渡した。
「好きなだけ取りたまえ」
「あァ?」
やっとのことで顔面からコカトリスを引き剥がしたアドルカンは、皮袋の中身を見て思わず妙な声を出してしまった。
「何だこれ…爺ィ、テメエ正気か…?」
皮袋に大量に入っていたのは、ジェニー・ハニヴァーの眼、と呼ばれる宝石だった。小指の爪ほどの小さな石1つで、500万ベリトはするという大変な代物である。総額で一体幾らになるのか、卒業以来、仕事に関して不遇の時代が続いていたアドルカンには想像もつかなかったが、少なくとも、乾燥モノでないヒュドラも好きなだけ買え、銀水晶も新調、杖磨き、高級ローブ、中古のレアもの幻音盤(レコード)を好きなだけ買ったってまだお釣りが来るであろう事は確かだった。もちろん喉から手がでるほど、欲しい。だがアドルカンは、ここでこれに手を出したら錬金術師の言いなりにならざるを得ない、という事に気づいていた。この錬金術師の犬のような立場を完全に容認するというのは、どうしても、アドルカンのプライドが許さなかった。
「…うぐ…せ、成功報酬が俺のやり方だ。金は仕事が完了した時、受け取るっつうの…」
今すぐ袋を抱えて中古幻音盤屋に走り、C.O.M(ケルベロス・オルトロス・アンド・ミノタウロス)のニューアルバム"咆哮"をゲットして、あの攻撃的なベースラインにどっぷり浸かりたいぜクソッタレ、軟弱な腐れポップスも堕落した青春パンクもひれ伏すがいい!ジャズは凶器なんだよォオオ!という衝動を必死に堪えてそう告げた。
が、
返事がない。
錬金術師は、手紙を睨みつけて例の狐のような険しい目をしていて。アドルカンはその気味の悪い目玉の中に一瞬、微かな怒りを見たような気がした。
「…………」
錬金術師は手のひらの上に緑色の炎を燃やし、一瞬で手紙を灰にした。
「ガスパール君」
唐突に名前を呼ばれてアドルカンは片目を眇める。いやな予感がした。
「何だよ」
「君にもう一つ仕事を依頼したいのだが、引き受けてくれるね」
錬金術師は泡立つ液体の入った小瓶から、繊細な模様の義眼を取り出しながら告げた。その、まるで断る筈がないとでも思っているかのような物言いに、アドルカンは、クッと舌打ちした。
「断る。言ったはずだ。俺は雑用係じゃねえ。魔法使いとしての仕事以外は、一切やるつもりはねえ」
妙な機械を見張ったりするようなくだらない用事を押し付けるつもりなら、今度こそ殺す、というニュアンスを込めたアドルカンの刺すような視線を、錬金術師は軽く受け流し、
「雑務の類ではない」
「じゃ、何だよ」
「今から、ある場所に圧力をかけに行かねばならなくなった。平たく言えば、脅迫だ。君には用心棒として後ろについていてもらいたい。そういう仕事の経験は、あるかね?」
しれっと言い放った。
「あァ?」
脅迫?いきなり何言ってんだこの爺ィ。
「意味わかんねえ。誰を脅迫すんだよ。つーかロシエールは!追わなくていいのかよっ」
「後回しだ。問題ない。動きがあれば蜘蛛が知らせてくる事になっている」
錬金術師が指を鳴らすと、アドルカンの足元で土を掘っていたコカトリスのオールビィが頭をもたげた。蝙蝠の翼を広げるのと同時にむくむくと膨れ上がって翼竜ほどの大きさになったオールビィに、錬金術師は飛び乗る。
「急いでくれたまえ」
巨大なコカトリスは羽ばたいて浮き上がった。
「ちょ、待てこらっ!ふつう俺も乗せるだろ!?」
アドルカンは空中から黒檀の箒を取り出し、慌てて錬金術師の後を追いかけた。