花売りと魔法使い(1〜10話)

第1話 お題:花売り娘

アリガトゴザイマース!のかけ声とともにマリーゴールドぶっちぎり!かすみ草大破!薔薇が空中で爆発。
もと狂戦士だけど脱サラして花売りよ!よろしくね!買えーーッ
とある村の切り立った崖の上に、ある日突然、花売り娘がやってきて店を出した。といっても、まさか切り立った危険な崖の上に花屋が居るなどとは誰も思わない。客など来るはずもなかったのだが、何の偶然か、薄汚いローブを羽織った魔法使いが1人、迷い込んで来た。
「お姉さん、ください。青い薔薇」
だが魔法使いが手のひらの銀貨を差し出した次の瞬間、
「うるせーーッ!軍隊時代の話をすんじゃねえ(してない)!こうしてやる!」
花びらカッター!
花売りによる花びらカッターが炸裂した。
「ウワァアアアアーッ!」
かわいそうな魔法使いがまっぷたつになったところで、花売りは、せっかくだからクチナシの花でそれを飾った。
花売りは、死人にくちなし、の意味を履き違えている。

第2話 お題:絶対者

「お姉さん黒い薔薇くださ…ぎゃあああーっ」
初めて店にやってきて以来、この魔法使いが花売りにまっぷたつにされた回数は、これで通算50回目となる。世界中で彼だけが使える独自の復活魔法がなければ死んでいるところだ。
「いいかげんにしてくださいよお姉さん…」
体を仮接着させながら文句を言う魔法使い。だが串に刺したドラゴンの丸焼きを食べていた花売りは、ペッと目玉を吐き出して、魔法使いの言葉とは全然関係ないことを唐突に怒鳴った。
「そういえばさー!知ってる!?アレ!」
「なにをですか…てか、花売ってくださいよ」
「あァ!?何でだバカヤロウ!(花売りだからです)アレっつったら牛乳の話に決まってんでしょうがーっ!お前牛乳知らねーの?牛乳だよ、ぎ・う・に・うゥウ!」
ああ、もう、意味が分からない。なぜ花を買うのにこんなに苦労しなきゃいけないのだろうか?
魔法使いの顔がどんよりと曇る。
「牛乳ぐらいは知ってますよ…」
うんざりした口調の魔法使いに向かって、花売りはなぜかニタリと微笑んでみせ、顔を近づけると声をひそめてこう言った。
「おい…ここだけの話だけど、アレって…チーズの原料らしいわよ」
なんでそんな事を鬼の首取ったように今更…
という突っ込みを、魔法使いは口にすることができなかった。非常に、顔が近かったためである。目の悪い彼は、この距離で花売りを見て、恐ろしい事実に気が付いてしまったのである。
本当に、本当に信じられない事だが、花売りは、
絶世の美女だったのだ。
ウソだウソだウソだ!何かの間違いだ!
これは夢だっ!神がこんな間違いをおかすわけがないィイイ!
と、叫ぶはずだった魔法使いの口はその時、意に反して別の台詞を吐いていた。
「ああああしたも、ここで花売ってます…?」
ドラゴンの骨を片手でぶち割ってから、花売りは、答えた。
「あしたってどのぐらいあしたの事なのよバッキャロォオオ!わかんねぇだろうがこのドモホルンリンクルがーーーッ」
花売りの台詞は相変わらず全く意味が判らなかったが、魔法使いはこの時、おそらく自分は明日もこの娘にまっぷたつにされるのだろうな、と、本能で理解した。

第3話 お題:後継者

魔法使いの弟子である、クォーターエルフのルシルは、イライラしながら師匠の帰りを待っていた。
掃除は完璧に済ましてある。これほどきれいにしても、夜になれば屋敷は激しく汚染されるのだが、それについてルシルが師匠に文句を言うことは無い。
師匠の魔法は、白魔法でも黒魔法でも地水火風に属する魔法でもなく、強いて言うならば、彼による彼だけの、創作魔法とでも表現すべき代物である。それゆえ、通常の魔法では起こり得ない事象が度々発生し、そのつど屋敷は、砂鉄、ティッシュ、パピコ、ほうとう、アルミニウム、スポンジボブ、おしるこ、タニシなどで激しく汚染される事になる。カオスだ。師匠の通り名が、混沌の魔術師であるのも頷ける。
「いや、法則とかはいちおうあるですよ、マジで」
と、師匠は言うが、ルシルにはその法則が全く見えてこない。
かの大魔法使いジルバ=トッテンペレスが後継者にしようとしてやっぱりやめた、とか、魔法学校時代、試験で、歴代の魔法使いの誰も知らなかった方法で問題を解き、しかも教室をとろろ汁まみれにした、とか、数々の伝説を持つ師匠は、実際、魔法使いとしてはある意味天才だった。
魔法に関してのみならば、ルシルは師匠・ユリウス=ロシエールをとても尊敬していた。
ただ、最近の師匠の行動に関してはやはり文句を言わざるを得ない。
何しろ近所の目というものがある。アレが始まってから、回覧板も、この屋敷だけ回ってこなくなったし、ルシルだってアレを目にするだけで気味が悪くて吐きそうになる。
ずるっ、ペタ、ずるっ、
音がして、弟子は嫌悪の渋面で扉を開けた。
「またですか、先生!」
「ご…ごめん」
まったく一体どこで何をしているのか、ルシルの師匠は最近、上半身と下半身がまっぷたつになった状態で帰ってくるのである。このところ毎日だ。それで死んでいないのは確かに凄いのかもしれないが、あまりに気味が悪すぎる。
「あ…これつなげるから、ルシル手伝って」
切断面を押さえておくのはルシルの仕事。
「き…キモイ、キモイ…キモイです先生、この汁、なにこの汁!きたねぇ 」
「ちょ、ひど…っ…きたねぇとか言わないでよ!」
「ぅうわ~キモ…つーか先生、いつもいつもどこに何しに行ってんですか?」
ルシルの質問に、師匠は一瞬固まると、遠い目をしてアンニュイなため息をひとつ吐き、
「いや…ほんと…僕、何しに行ってんだろね……ははは…」
答えにならない答えを呟きながら、持っていたマリーゴールドの切れっぱしのようなものを、しょんぼりと指でいじくり回し始めた。ルシルは思う。
こいつだめになってんじゃないだろうか、と。

第4話 お題:滲んだインク

本日も花を買いに出た魔法使い。何となく雲行きが怪しいな、とは感じていたが、花売りがいつも店を出している切り立った崖にたどり着く前に、案の定雨が降ってきた。それも突然の、豪雨。
ああこれじゃ、花売りも今日はもう店じまいだな。
魔法使いは、世界中で彼だけが知る独自の魔法を使って、空中に雨よけ用の巨大シイタケを浮かび上がらせながら、含み笑う。
ハハー濡れちまえ濡れちまえ花売り。いつも僕をまっぷたつにしているバチが当たっ……あ、
そこでふと、魔法使いは思いついた。
豪雨で困る花売りを見てやろうじゃないか。そんで安全な場所から馬鹿にしよう!
魔法使いは、笑いを噛み殺しながら崖に向かうと、空飛ぶ生肉に乗って上空からこっそり花売りの様子を観察した。
「……あれ?」
花売りの荷車はいつもと同じ場所にあった。売り物の花はクタクタになっているし、血しぶきみたいな文字で「花!」と書かれた看板も豪雨ですっかり滲んでしまっているというのに、荷車は出っぱなしである。
考えてみたら雨で濡れるから花をしまうなんていう繊細なこと、あの花売りがするわけないか…
で、花売り当人は何をしていたかというと。
「…ウワー…ちょっともうマジで勘弁してくださいよお姉さん…」
雨を飲んでいた。
「あーーッ!やっぱ夏はダシきいてるわね雨ェ!」
あと、頭も洗っていた。
「やっべーシャンプー忘れたわーーッ!いいや唾で!唾と牛乳で!ギャハハハハハ!」
おい待て、待てお姉さん。唾はだめだ、いや、違う違う、そうじゃなくてその、まさか、ああああやっぱ脱ぎ始めてるこの人っ!
魔法使いの耳はボッと火がついたように熱くなった。
シャワー代わりだけはダメだ、何かダメだ、なんか、シャワーだけは何となくダメぇえ!絶対!
焦りに焦った魔法使いは、次の瞬間、叫んでいた。
「ちょっとちょっと待っ…お姉さん緑色の薔薇くださああーい!!」
「てめぇ何様のつもりだこのビューティーコロシアムがああああ!(←?)」
「ごっふう!」
空中の魔法使いをカスミ草でまっぷたつにした花売りは、落下した彼を振り返ると悪びれもせず
「おい見ろ魔法使い、雨降ってるわよ、雨!飲まねーの!?飲まねーなら全部あたし使うからよォーッ!後で文句言うなよ!」
凶暴な笑顔でそう怒鳴り、何の躊躇もなく、ごく普通に全裸でシャワー。
恥じらいのかけらもない豪快な姿である。
魔法使いの悲痛な呻きも雨にかき消された。
「ううう…駄目ぇえ…ハダカは駄目…」
ちなみに花売りは、雨の仕組みがわかっていない。

第5話 お題:裏切り

魔法使いが風邪をひいた。先日、ずぶ濡れでまっぷたつになったのがいけなかったらしく、熱と鼻水がひどい。毛布にくるまりながら魔法使いは、弟子のルシルに頼んだ。
「あ゙~だめ゙だ…ルシル、魔法薬で治すから、牛乳とカミツレ草買っでぎて」
「あ。先生、薬草屋は今、仕入れの旅に出ているとかで、閉まってますよ」
「え゙!うそ!」
「残念でしたね」
どしゃ降りの雨の中まっぷたつになどなったあなたの自業自得ではないか、と思っているルシルは、実に冷ややかな態度である。
「仕方ない…ルシル、こっち、こい」
魔法使いは、毛布から手だけ出して、ルシルに魔法をかけた。
「何です?」
訝しむルシルに魔法使いは言った。
「…これでお前はまっぷたつになっても死なない…いいか、村はずれの急な崖にいる花売り…カミツレ草はそこで買ってこい…」
「崖!?そんな所に花売りなんかいるんですか?ってか…まっぷたつって!先生もしかしてあなたいつも、そこへ行ってたんですか!?」
「せ…先生眠い。寝る。いってらっしゃい。おやすみ」
都合の悪くなった魔法使いは、ずびっと鼻をすすって背を向けてしまった。小さく舌打ちこそしたものの、ルシルは仕方なく師匠のために魔法薬の材料を買いに行くことにした。正直、まっぷたつの真相が明かされるのではないか、という好奇心に負けたのが理由である。
「じゃ…安静にしてて下さいよ」
扉の閉まる音を毛布の中から魔法使いは聞いていたが、暫くたつと心に罪悪感のようなものがわいてきた。
行かせてよかったのだろうか?
何となくソワソワしてしまい、眠れない。
冷たい弟子とは言え、詳細を教えずに花売りの所に行かせたのはフェアじゃなかったかもしれない…。事前情報無しにあの花売りと遭遇するのはかなりの恐怖だろう。それに、下手したら死ぬかもしれない相手だ。
「…まずいか…まずいよなぁやっぱり」
魔法使いは、居てもたってもいられなくなり、とうとう起き出すと、毛布を被ったまま、花売りの崖に向かった。

その頃、花売りはルシルから奪い取った牛乳をガバガバ飲み込んで上機嫌になっていた。
「牛乳ってよォー!チーズ作れるらしいわよチーズ!知ってた?」
「そうなんですか!いやあ、物知りですねお姉さん」
「ギャハハハ!よく言われるわ!てかこの牛乳うめえよ!岩石味かっ!」
背こそ低いが、ルシルは女性達に人気がある。それはエルフの血の混じる洗練されたルックスのせいだけでなく、彼の話術や気の利いた行動によるところが大きい。つまりルシルは、師匠よりもはるかに、人の扱いというものに長けていた。
「岩石ですねえ岩石」
無茶苦茶な会話を交わしながら、ルシルは思う。
なるほど、先生はこの、ちょっと意味わかんないけど凄い美人の彼女に毎日会いに来てたのか。
だが、まっぷたつ、の謎は解けない。どこかに"娘が魔法使いに好かれることをよく思わない暴力的な父親"でもいるのか?
笑顔を貼り付けたまま辺りを見回したルシルの視界に、奇妙なものが映り混む。
「え?」
毛布?
それが何だか、ルシルがはっきり認識するより早く、花売りの手が動いていた。
「ブンブン太鼓の真似なんかしやがって、あたしを馬鹿にしてんのか、このチップスアホイがぁあーーッ」
「ミギャアアア!」
毛布はまっぷたつ!中から現れたものを見てルシルは絶句した。
「…先生」
魔法使いは熱とまっぷたつの相乗効果で目を回し、何やらうわごとを呟いている。
「…なあんでだよ~…なんでたのしそうにしゃべってんだよ~…うわ~ん…」
花売りはその魔法使いの顔の上にクチナシの花を叩きつけて、ギャホギャホと笑った。

第6話 お題:勇者と魔王

魔王退治に向かう英雄・シャルドが、パーティーの仲間と共に魔法使いを訪ねてやって来た。魔王との最終決戦に向けて、どうしてもかけてもらいたい魔法があったのだ。
「御免。コルテール王国より参りましたシャルドと申します。混沌の魔術師・ユリウス=ロシエール様にぜひお会いしたく…」
「申し訳ありません。ちょっと、うちの先生、こないだから部屋に引きこもってまして…中でお待ちいただけますか」
屋敷の扉から顔を出した魔法使いの弟子は、困り果てたようにそう告げて、英雄とその仲間達を屋敷に招き入れた。
「先生!ほら!お客様に悪いでしょ!いいかげん出てきてください!」
客を前に引きこもりを続けられるほど面の皮の厚くない魔法使いは、渋々ながら、ついに部屋から出てきた。
「貴方がロシエール様ですか!お会いできて光栄です!」
シャルドは、名高き魔法使いが意外に若い事に驚いていたが、彼の仲間達は、この人のローブの下からチラチラ見えてるのって、パジャマっぽくない?という事が気になっていた。
「…何ですか…僕、今日、低血圧なんですけど…」
ボソボソと暗い声で魔法使いは言った。
「ロシエール様は灰にされても生き返れる魔法をお持ちだとか。どうか、私と私の仲間達にその魔法をかけていただきたいのです」
「ああ…いいけどアレ効果3回ですよ、4回燃やされたら死にます…あと副作用で、生き返る時、頭からセル画とGパンが500個くらい生まれますが…いいんですか?」
「構いません!お願いします」
魔法使いは、熱く爽やかな勇者シャルドとは対極の、だるそうな動きとすごく適当な口調で呪文を唱えた。

「なんか、微妙な魔法使いだったな。ちゃんと効くのか?この魔法」
魔法使いの屋敷からの帰り道、シャルドの仲間の屈強な斧使いがそう呟いた。
「うーん…混沌の魔術師ユリウスっていったらかなり有名だし、あの大魔法使いジルバ=トッテンペレスが恐れてる程らしいんだけどなぁ…」
シャルドも少し言葉を濁した。仲間の紅一点である女魔法使いも言う。
「あれだったら実戦じゃ私の方がずっと使えると思うけど」
「下パジャマだったし」
黒魔法術士が挟んだ一言に、一行は爆笑した。爆笑した後、黙ってお互いを見つめ合った。
「いよいよ決戦か…」
「命を落とした仲間たちのためにも頑張ろうぜ!」
「ああ。よし、そうだ。魔王の城に向かう前に墓参りしていこう」
シャルド達は、ついでに墓前に備える花を買って帰ることにした。

それが、いけなかった。

数日後、花売りの店に久しぶりに姿を現した魔法使い。
「あ…お姉さん…灰色の薔…ぎにゃあああああ!」
「くらえェーーー!」
振り回したセル画とGパンで久しぶりに魔法使いをまっぷたつにした後、花売りは言った。
「おいっ魔法使いっ聞け聞け!あたしこないだバーベキューやったらさァ!終わった後、なんかセル画とGパンいっぱい落ちてたのよッ!お前来ないからもうほとんど全部食っちゃったぜ!」
花売りの口からは、Gパンの切れ端がちょろっと覗いていた。

第7話 お題:一人旅

「ああ…いきたくないなあ…もう」
世界魔法闘技会の審査員を頼まれた魔法使いは、出発直前まで行くのを渋っていた。
「何言ってんです。ドタキャンなんかしたら各国の魔法使いギルドから総スカンくらいますよ」
弟子は、旅に必要なものを整然と詰め込んだトランクを魔法使いに手渡す。
「てか、僕、全然興味ないのに審査員とか、意味なくない?」
「はいはいわかりました。意味ないですね、うん。いってらっしゃい」
弟子は、口を尖らせて文句を言う魔法使いを、てきぱきと扉から押し出した。
「行くから、押さないでよ…てか、ルシルさぁ…」
「何です」
「……なんでもない…いってくる…」
猫背を更に曲げて、トランクを引きずった魔法使いの姿が遠ざかるのを見ながら、ルシルは思う。
本当に最近の先生はおかしい。
魔法使いは、先日風邪をひいた後、何だかすっかり沈み込んで部屋に引きこもってしまった。いいかげんもう花売りにまっぷたつにされる事に懲りたのか、と思えばそうではなかったようで、数日たったらまたまっぷたつにされに行っていた。
その帰りに何故かGパンを持ち帰ってきて、着るでもなく煮て食べようとして、吐いた。
もともと変わり者ではあったが、あまりに奇行が目立ち過ぎる。さっきのように何か言いかけてやめたりする事も多い。人がこの姿を見ても、きっと彼が偉大な魔法使いであるとは信じられないだろう。
原因は何か。聡明な弟子には見当がついていた。
花売りのお姉さんだ。先生は花売りさんを好いている。馬鹿は多分、弟子の私にもそれがバレていないと思っている。いや、或いは先生自身が恋愛感情に気づいていない可能性すら、ある。
ルシルは、考えた。
このままでは、世界を震撼させた混沌の魔術師・ユリウス=ロシエールは駄目になる。そうなれば、弟子である自分の将来も危ういのではないか、と。
「…困ったな」

一方、魔法使いはブーツの先で小石を蹴りながら、闘技会の開かれるレギオーヌ皇国に向かってダラダラ歩いていた。正直、闘技会の審査なんて魔法使いにとってはどうでもよかった。魔法使いが気になっているのは、風邪をひいて弟子にお使いを頼んだあの日の事である。
なぜ、弟子はまっぷたつにされなかったのか。
なぜ花売りは弟子と楽しげに会話していたのか。
ルシルは背は低いが、女性には人気があるようだ。時折屋敷に女の子が訪ねてくることもある。
…えー…じゃ、お姉さん、ああゆうのが好みだったってこと?
そうだったら嫌だな、と魔法使いは思った。あんなに怪獣みたいな女の子が、普通の優男を好きだなんて、何だか面白くない。
「……」
唐突に魔法使いは立ち止まり、口の中で小さく呪文を唱えながら指で空気をかき回した。
「crescend(クレッシェンド)…」
かき回された空気中に含まれていた微細な菌が動きを変えて、近くを通った羽虫の体内に侵入る。羽虫はその影響で微かに進路を曲げ、小さな葉っぱの上に乗る。葉っぱから水滴が垂れた。
水滴を目に浴びたカエルは飛び起きて、それを見た荷馬車の馬が微かに足を動かし、積み荷の粉袋の角度が変わり……

ぶしっ
「うわっ!」
街の市場で牛乳とチーズを購入していたルシルは、たまたま通りかかった羊に、思いきりクシャミをぶっかけられた。
「げえ…お、お前~…何でだよ~」
半泣きで抗議するルシルに向かって、羊は鼻を垂らしながらメヘヘと鳴いた。

「イェス!」
みみっちい憂さ晴らしが成功し、魔法使いは小さくガッツポーズを決める。
が、レギオーヌ皇国の巨大な城が見えてきた途端にすぐまた陰気な気分が戻ってきた。

第8話 お題:闘技会

魔法闘技会は、国際魔導師協会が定期的に開催しているトーナメント式の大会で、主に若い魔法使いたちの腕試しの場である。
審査員の高名な魔法使いたちや、観客の王侯貴族の目にとまれば、おいしい就職先が見つかるかもしれないということもあり、出場者達は皆、ギラギラしたハングリーな奴らばかり。このところ続く魔法業界全体の不景気も手伝って、会場は異様な熱気に包まれていた。
「就職、就職ゥ!」
「今年こそ…今年こそ地方巡業マジックショー以外で稼ぎたい…」
「何ィ?てめえ無職の俺をバカにしてんのかッ」
「やめてェエ!私の使い魔つぶさないでェエ!」
ゲスト審査員席の端っこから、魔法使い、ユリウス=ロシエールは会場の喧騒をため息混じりに眺めていた。魔法使いは、この空気がそもそも、息苦しくて嫌いだった。
うう、帰りたい…
俯いていると、他の審査員達の会話も耳に入ってくる。
「何であいつがいんの?」
「誰だよ呼んだの」
魔法使いは、他の魔法使いたちとコミュニケーションをとるのも苦手である。僕の事だろうか、と思って悲しくなった。
地水火風の属性魔法を使う者たちのギルド、精霊使いのギルド、黒魔術師のギルド…世の中に魔法使いのギルドは多々あれど、混沌の魔術師ユリウスはどこのギルドにも属していなかった。
彼の魔法はあまりにも異質すぎて、どのギルドからも受け入れを拒まれたのである。
そういう事もあって、魔法使いは、他の魔法使いたちの会話に参加できない。話しかけてみようと思っても、もしそれで、はぁ?などと返されたらものすごく悲しい気持ちになるに違いないからだ。
ふと視線を上げると、闘技会はもう始まっている。
魔法使いは、若い魔法使いたちの戦いを見るふりだけして、花売りの事を考えた。

え。くれるんですか?このGパン。

もう食い飽きたからあげるわッ!あたしイイヒトだからなァ!あたしイイヒトでしょう!おい、言って言って!あたし超イイヒトって言って!

…超イイヒト…。

てめえ今なんつった!このポートボール野郎ォオオ!

えぇえ!?今自分で言えって言ったじゃなァアアアアアアーッ!

魔法使いは今すぐ花売りに会いたくなった。こんな居場所のない闘技会なんか放り出して、あの切り立った崖に行って、花売りにまっぷたつにされたかった。

さて、魔法使い自身は知る由もない事だったが、今回の闘技会に、ゲスト審査員として彼が選ばれたのには理由があった。開催国に選ばれたレギオーヌ皇国は、国を挙げての黒魔術崇拝で知られている。ところが、それをよく思わないのは「聖なる力」を使う魔術師ギルドの連中である。彼らは
「黒魔術を崇拝する国で闘技会を開くなんて、神のバチが当たる」
と主張した。協会も今更、開催国は変更できないとしてこれを突っぱねたが、この発言がもとで黒魔術師ギルドと聖なる魔術師ギルドは一触即発ムードとなってしまった。最悪、暴動が起きかねない。
更に、「錬金術師ギルドは黒派だ」とか「召還術士は聖派支持」などと、魔法業界全体が対立ムードになってきたため、協会は各ギルドから同数の審査員を取り、更にどのギルドにも属さないユリウス=ロシエールを加える事で審査の公平性を保とうとしたのであった。

関係者たちのピリピリしたムードの中、魔法使いはひとり、出された紅茶の水面を見つめてしょんぼりとため息を吐いている。

第9話 お題:審判の日

旗が上がった。
「はいそこまででーす」
時計係の女の声に、魔導師協会関係者たちはため息を漏らした。十字を切る者までいた。
「ああ、よりによって…」
時間切れで決着のつかなかった試合は審査員の判断で勝者を決定する。聖書を片手に帽子から靴まで白で揃えた若い魔法使いと、これまたいかにも、といった感じの真っ黒なローブを纏った小柄な魔法使いが、にらみ合いながら闘技場の両端に下がった。言うまでもなく、"聖なる魔術師"と"黒魔術師"に間違いない2人である。
「ただ今から審査を開始いたします」
会場がざわめいた。試合はほぼ互角だった。審査員の出方によっては、まずい事になる…今にも空気にひびが入る音が聞こえかねない雰囲気。
ただ1人、審査員席左端の魔法使いだけが、この状況に気づいていなかった。紅茶を見つめ、気づかれぬように小さく呪文を唱えるのに夢中だったのだ。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ花売りが今何をしているのか見てみようと、紅茶の水面に軽い魔法をかけ、いつもの切り立った崖を映し出そうとしていたのである。
と、その時。魔法使いの耳元に囁き声がした。
「なあおい、大先生よ」
おそらくコウモリか何かであろう、姿を消した使い魔が、魔法使いの肩にとまっていた。
「頼むから、黒魔術師の兄ちゃんに一票入れてやってくれ。レギオーヌ国民と黒魔術師全体のメンツがかかってんだ。もちろん礼ははずむ」
しかし魔法使いはあまりよく聞いていなかった。んん、とか、うん、とか曖昧な生返事しか返さない。紅茶の水面に次第にはっきりと結ばれる画像に、魔法使いの目は釘付けだった。
「ライトニング選手の勝ちと思う方は赤い炎を、カルマー選手の勝ちとされる方は青い炎を灯してください。それでは判定お願いします!」
司会の大臣の高らかな声を合図に、審査員たちは指先に魔法の炎を灯し始めた。

赤、赤、青、赤、青、青……

全くの、同数。いや、1人まだ炎を灯していない審査員がいた。
「ロシエール先生、ちょっと!先生!審査をしてください!」
司会に怒鳴られてやっと頭を上げた魔法使いは、周囲を見渡すと慌てて炎を灯した。
黄色。
「うおい!どっちだよ!!」
観衆からの大ブーイングを受けて、魔法使いは縮こまるようにして炎を黄色から赤に変更した。
途端、席の真ん中あたりに陣取っていた黒魔術師の審査員が叫んだ。
「てめえ大先生!約束が違うじゃねえか!」
黒魔術師は先程の使い魔と同じ声をしていた。つまり使い魔はこの男のものだった訳だが、そもそも最初から全く聞いていなかった魔法使いには何の事やらわからない。
「…えっ何?…え?え?」
「おい約束ってなんだ、貴様、まさか賄賂でも渡したのか?」
別の魔術師が立ち上がり、黒魔術師の胸倉を掴んだ。
「やんのかテメー!」
「反則野郎に神の罰ブチくらわしてやろうかコラ」
「やめなさい!」
「痛い痛い痛いって」
「押すなボケッ」
「つぶれるゥ!あたしの使い魔がつぶれるゥウ!」
後はもう、ありとあらゆる魔法が飛び交う大乱闘。最悪の事態になってしまい、協会関係者は頭を抱えた。
「どちくしょーーッ!」

え、なにこれ。どうなっちゃったの?
突然のパニックに困惑し、無性に喉が渇いてきた魔法使いは、紅茶の水面に視線を落とす。
「……あ!」
瞬間、
彼は硬直した。

第10話 お題:嘆きの歌

国際魔導師協会幹部、電光石火、の異名を持つ雷の魔術師サテュロス=サーキュライトは頭の中が真っ白になっていた。
こんなことにならないためにわざわざ苦労してユリウス=ロシエールを招いたというのに、そのロシエールがむしろ事の元凶になるなんて!
最悪だ最悪だ、ちくしょー最低だっ!
「先生っ!何てことしてくれたんですか!そりゃ言いましたよ?来てくれるだけでいいって!ええ言いましたよ!でもこれはないでしょ?賄賂受け取ったなら受け取ったでいいから、ちゃんとバレないようにやってよ!」
目の前でサテュロスが長い長い文句を一息にぶちまけたにも関わらず、魔法使いは返事をしなかった。ただ立ち尽くしている。
「……」
微妙に涙目になっている魔法使いを見て、サテュロスの苛立ちは頂点に達した。
「泣いたらいいってもんじゃないでしょ!どうしてくれんですか!この始末!え?あんた責任持って止めて下さいよ、この騒ぎ!」
バン、と審査員席の机を叩く。紅茶の水面がゆらりと揺れて、そこに映り込んでいた画像が溶けて消える。
魔法使いは、のどの奥にナイフを差し込まれたような気分だった。もちろんサテュロスの文句など半分も聞こえていない。
…ああ、なんだか、なんだかちょっと泣きたいかもしれない。

魔法使いが紅茶の水面に見たもの。それは、
花売りと弟子が何か楽しげに語り合っている光景
だったのだ。

「だいたいあなたウダウダ優柔不断オーラ出してるから賄賂なんか持ちかけられるんですよっ!」
興奮したサテュロスは、我を忘れてトランス状態で説教モードに入っていた。そしてつい、魔術師としての格差を忘れて、目の前の大魔法使いに、
「あんたがもうちょっとしっかりしてたら、こんな事にはならないんじゃあないです、かっ!」
デコピンを食らわしてしまった。
おでこを抑えて目をつぶった魔法使いは、ポタリと一粒涙をこぼした。
「い…いたい…」
何だろ。何でこんな目にあうんだろ?ちょっとホントなんか、もう、やんなっちゃったな…なにもかも…
魔法使いはダークブラウンの双眸をゼリーみたいに湿らせて、審査員席の机の上に飛び乗った。
「てゆかさ、てゆかさ…だったら僕なんか最初から呼ばなきゃいいじゃん!違う?まあ、もう、いいけど。いいよ、もうどうでも…止めればいいんでしょ、止めれば」
サテュロスは魔法使いのその呟きでようやく、正気に戻ってハッとなった。
やっべえ!そう言えばこの人…
ユリウス=ロシエールを招待するにあたって、サテュロスは、協会上層部から注意を受けていた。
「あの人はただでさえ闘技会と相性が悪い。くれぐれも機嫌を損ねぬように」
と。
「あ、あ、あ!すすすいませんごめんなさい!ごめんなさいいい!」
慌てて土下座体制に入ったサテュロスを見もせずに、魔法使いは懐から小さな、細い針を取り出した。そしてそれを乱闘騒ぎの闘技場に向けて、ちょうどオーケストラの指揮棒のように構えると
混沌の魔術師は、世界中で彼だけしか知らない彼独自の秘密の魔法の名を口にした。

「交響曲第5番」

指揮棒が
振り下ろされる。
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