花売りと魔法使い(11〜20話)<

第11話 お題:荒れた大地

先ず、闘技場の地面がごっそりめくれ上がった。
「ギャアアアア」
「ちょ、何、何、ななな」
「つぶれるゥゥ!」
「助けてぇええ」
地下深くから貴重な古代遺跡が出現。上空では長芋が、大気圏突入と共にすりおろされ、
降り注ぐとろろ。そこに蛾の大群が飛んで来る。
何が起こったのか認識する暇もなく、その場にいた魔術師、観客、あらゆるものが魔法使いの魔法に飲み込まれていた。
「導入部…運命が扉を叩く音…弦楽器、徐々にクレッシェンド…」
ぷちぷちと呪文を呟きながら、魔法使いは精密な動作で針を振るう。
「再度、テーマ…」
タタタタ~ン、のリズムでその場に居た半数の人々の背中から腐ったシンデレラ城が生えた。
同じリズムで残り半数の頭にシオカラ500キログラムが発生。
一瞬の空白の後、響き渡った悲鳴が遺跡に反響し、旋律を奏でる。シオカラが凄い勢いでシンデレラ城の窓に飛び込んでゆく。破裂するシンデレラ城。飛び交う破片!椰子の木の暴挙、なめし皮の咆哮、高速回転するドラッグストア、五右衛門風呂が大爆発…
混沌、
更に次ぐ、混沌!
カオスに内在する、あらゆる凶暴な可能性が、タクトにあわせて歌い出す。それらは重なり合って、複雑なドミノ倒しのように、新たなうねりに続くリズムをも刻んでゆく。
その荒れ狂うBGMを目を閉じて聴きながら、魔法使いはどうしようもなく心を痛めていた。

なんでよ
僕のいないとこで弟子と2人でいちゃいちゃなんてしないで
おねがいだから
怪獣みたいなお姉さん、
あなたはいつも怪獣みたいなお姉さんでいてよ
普通の女の子みたいなことしないでよ
他のどんな人とも違う怪獣みたいなあなたが、

僕は、

「……!」
魔法使いは突然、針を振るのをやめた。
チャルメラ、人間、スポンジボブ、へその緒、エキゾチックアニマル、学ラン、都バス、天津甘栗など、浮いていたものたちがバラバラと音を立てて地面に落ちる。
「え……?待った待った。いま僕、何考えてた?もしかして僕、お姉さんのこと…え、そうなの?えぇ!?まままじ!?どう思う?」
魔法使いは、とろろまみれで足元に倒れていたサテュロスを振り返った。
「知りませんよォオ!頼むからもうあんた帰ってくださいよォ!」
必死の形相で泣き叫ぶサテュロス。
「ご…ごめん…わかった帰る」
魔法使いは、完全に破壊された闘技場を、逃げるように後にした。
この事件はのちに「レギオーヌの大地獄」と呼ばれ、その復興作業をきっかけに、聖なる魔術師のギルドと黒魔術師ギルドは和解する事になるのだが、それはまた別の話。
これ以降、魔法使いが魔法闘技会に呼ばれる事は、二度となかった。

第12話 お題:夢

地平線すれすれに落ちてきた太陽は、切り立った粘土質の崖をオレンジ色に染め上げ、荷車の屋根の上で割れ鐘のような鼻歌を歌っている花売りのシルエットをも、金色の輪郭で縁取っていた。

ダッダッダダイダ
ダダイダーイ!
肌色のォオ髪の毛にィ!
緑で串焼きダダイダーイ!
チャックでパッチン…

唐突に歌をやめて荷車の下に視線を落とす花売り。
「…なんですかその歌」
軽く息を切らした魔法使いが立っていた。
「あぁ!?肌色の髪の毛の歌にきまってんでしょ!このダダイダーイが!」
「ちょ、理不尽すぎ…ぎゃああああ!」
花売りは荷車から飛び降りざまに、手刀で魔法使いをまっぷたつにした。まっぷたつにした後、突然目を丸くして魔法使いをじっと見た。
「おまえって明日帰ってくるんじゃなかったの」
「えっ?え、あ、ちょっと色々あって早めに帰ってきたんです」
花売りの眼の深い緑色に、魔法使いの心拍数は否応なく上がる。
「ま、まて…大変だッ!明日帰るのが今もう帰ってきてるって事は、今ってもう明日かァアアーッ!やべええええ気付かなかった!あたし寝るの忘れたーッ!寝るッ!」
「ち、ちが……」
魔法使いが言葉を挟む間もなく、花売りは布団もかけずにいきなりその場の砂利の上に眠りだした。ものすごい就寝速度だった。1秒でいびきをかきはじめた。
早過ぎでしょ…っつーか、なにその物理を無視した論理展開…。
唖然とする魔法使いの前で、花売りは寝言を言い始めた。
「…う~ん…それたべられんの?…よこせ…」
ぶはっ、夢の中で食べ物奪ってるよこの人!
魔法使いは一瞬ふき出して、それからちょっと花売りの寝顔を眺めた後、泣くような笑うようなため息をついた。
間違いなかった。花売りに会えばきっと明らかになると思って、急いで帰ってきたけれど。
ああ僕は、やっぱり
花売りの、錆びた鉄扉のような歯ぎしりを聞きながら、魔法使いはもう一度、ため息をついて胸を押さえた。
「ううう…やっばい、どうしよ…なんかもう、好きすぎて…苦しい…」
まっぷたつになった体を、音をたてないように静かに繋ぎ、魔法使いはよろよろと屋敷に帰っていった。

第13話 お題:マント

「ルシルってさァ…」
屋敷に帰って来てからずっと、弟子の様子ををちらちら伺っていた魔法使いだったが、夕食の干し肉とパンをもそもそとかじりながら、漸く話を切り出した。
「ルシルってさァ…花売りのお姉さんと…つ、きあってん、の…?」
「いえ。彼女美人ですけど私の好みじゃないです。何でですか」
ルシルは淡々と答えた。
「だ、だってさ、昼間さ、なんかさ、2人で会ってたみたいだからさ…」
ずいぶん楽しそうにしてたじゃないか。魔法使いは軽く咎めるように口をとがらせる。だが、実際、咎められるのは己のほうであった。
「は?ちょっと待って、あなた何で知ってんですか…まさか鏡の術で覗きですか?信じきれない!」
「ぐはっ!な…聞いたの!人から聞いたんだよ!…ホントデスヨ…」
「このストーカー!」
「わーん違う!」
ルシルは頭を抱えた。どうしようもない。ただでさえ花売りは攻略の難しい相手であるのに、当人がこんなにも恋の素人では、うまく行きっこないではないか。
実のところルシルが昼間、大量の牛乳とチーズをお土産に花売りの所へ行ったのは、何とか師匠に脈がないかどうか彼女に打診してみるためであった。だが、結果は予想以上に最悪で。

「花売りさんはよく、ロシエール先生とお会いしていますよね。どうです?先生は」
「それ誰!」
ちょ…先っ生ぇ!名前すら覚えられてねー!
「ほら、あなたによくまっぷたつにされてる…」
「なんだあれか!魔法使いだろ!知ってる!どうってなにが!」
うわ…駄目だこれ
「ぶっちゃけた話、あの~先生のことを、どう思ってますか?」
「ああ!あたしあれ食べたくない!」

完全に撃沈である。
これはもうどうやっても、魔法使いの恋は実らないような気がした。だが弟子としてはこのまま、尊敬する師匠が堕落してゆくのを手をこまねいて見ているだけ、という訳にもいかない。
「いいですか先生、あなた世界一の魔法使いなんだから、ほんともっとシャキッとすれば、女性の一人や二人、コロッとついて来て当然なんだ」
敢えて優しげな声で師匠の肩を叩く。
「そ…そう?」
ルシルは決心していた。
手は尽くしてやろうではないか。それでもどうしても駄目ならば(多分駄目だろうが)、他の、もっと普通で、先生と素朴な恋を育めるような女性を見つけて引き合わせよう。と。
魔法使いの頭のてっぺんから足の先まで、しばし見つめてからルシルは続けた。
「そうですね、うん…先ずは、その有り得ない流行遅れのローブやめて、シヴァークの市場で洒落たマントでも買いに行きましょう」
「えぇ~…先生、人がいっぱいいる場所苦手なんだけど…」
「うるさいストーカー!行くったら行くの!」
「わーん!」
魔法使いは、弟子に連れられて市場に行くことになった。

第14話 お題:南にある街

商業都市シヴァークに呪術用具を買いにきたガスパール=アドルカンは、たまたま覗いた店でマントを試着する猫背の男を見かけた。
その瞬間、アドルカンの脳裏に魔法学校時代の苦い思い出がまざまざとよみがえってきた。
「…あ…あいつ…」
バジリスクの黒焼き、乾燥ヒュドラ、骨蝋燭など買ったものをバラバラと落とすアドルカンを、15の頃とほとんど変わらない茶色の目玉でキョトンと見つめる猫背の男は、かつての同級生、魔法使い・ユリウス=ロシエールに間違いなかった。
「あ、落としましたよ」
魔法使いは緊張感の無い声でそう告げて、足元のヒュドラを拾い上げ、アドルカンに手渡した。
「………」
アドルカンはピクリとも動かない。
「えっ。あの…これ、落とっ……だ、大丈夫ですか?」
魔法使いが不安げに顔を覗き込んだ途端、アドルカンは口を開いた。
「…ロシエール貴様…よもや俺を忘れたわけじゃあるまい…」
「えっ」
魔法使いは、自分よりほんの少し背の低い黒髪の男を、目を細めて数秒見つめ直した。
「あ……ああっ!バスッ…いや違った…!違う!えっと、ほら…ねっ!あの…」
「テメェエエエ!!完全に忘れてんじゃねぇかよ!アドルカンだっ!ガスパール=アドルカン!魔法学校時代にお前、あれだけ…」
凄まじい剣幕で怒鳴るアドルカンを見て、魔法使いは軽く死んだ目で下を向く。
「ご…ごめん…僕、学校時代の記憶がちょっと…精神的に苦痛だったせいか忘れ気味で…」
「お知り合いですか先生」
奥の棚を見ていたルシルが振り返った。
「うん。同じ学校のアドルフくん」
「お初にお目にかかりますアドルフ様。私、先生の弟子のルシルと申します」
「アドルカンだっ!…畜生…ロシエールてめえその歳でクォーターエルフの弟子なんかとりやがってふざけんじゃねえよ…お前のせいで…お前のせいで俺は…」
アドルカンは、唇を噛み締めて魔法使いを睨んだ。その先は、あまりに惨めで口に出せなかったのだ。

不遇の天才。
永遠の二番手。
まあふつうにすごい魔術師。

ガスパール=アドルカンに付けられる二つ名は、そういった不名誉なものばかりだった。能力が劣っていたからではない。アドルカンの魔法は、パワー、技術共に天才レベルと言ってよかった。大概の魔法は完璧以上にこなし、神童と呼ばれて飛び級だってした。
同じ学年同じクラスに、異色の超天才・ユリウス=ロシエールさえいなければ、アドルカンの栄光は約束されていたはずだったのだ。
学校から1人だけ選出される、名誉ある魔法闘技会出場者の座も奪われた。
大魔法使い・ジルバ=トッテンペレスが学校に招かれた日にもロシエールばかりが目をかけられ、アドルカンは見向きもされなかった。
首席で卒業したのはアドルカンの方なのに、なぜか卒業記念碑に刻印魔法を刻む役はロシエールに任された。
卒業後も「二番手」「ツキが落ちる」などと言われ、実力に見合った仕事が来なかった。
アドルカンの栄光の道はことごとくロシエールに潰されたのである。

「…絶対許さねえ…俺は卒業後ずっと、お前をぶっ殺す方法を研究し続けて来たんだ…ここで会ったが百年目…」
「えーこれ襟、変だよ。こっちのがいくない?」
「先生、トレンドは銀刺繍ですよ。何それ、どっから持ってきたの。ないない、それはない」
magicalとロゴの入った苔みたいなマントを欲しがり、弟子にダメ出しをされていた魔法使いはアドルカンの話を聞いていなかった。

第15話 お題:罪の記録

眼中にない、という事か。え?ロシエール。二番手野郎にはこれっぽっちも興味がないという訳か?
限界だった。アドルカンの怒りは頂点に達した。
「ふざけやがって…ふざけやがってこの野郎っ!ぶち殺してやる畜生が!!」
アドルカンはマントの下からサーベルのような細身の長い杖をすらりと取り出すと、魔法使いに向けて呪文を唱えた。
「背に灰を持つ悪魔の煤けた兄弟の名において命じるッ!蛇よこいつを…」
「お客さん何してんだ!困りますっ!憲兵を呼びますよ!」
「何ィイーーッ!?」
魔法装束屋の店主の一喝に、アドルカンの杖の先から放たれかけていた魔力が凍りついた。
「ま、まだ何もしてねえだろうがあッ!憲兵なんて呼ぶんじゃねえよ!」
ガスパール=アドルカンは慌てた。真っ当な依頼が少ない分、色々と裏の仕事を請け負って日銭を稼いでいる彼は、憲兵を呼ばれるととても困るのである。
「ちょ、憲兵とか言ってない?憲兵来るの?来るの!?ルシル帰ろう、帰ろう」
そしてなぜか魔法使いも激しく狼狽していた。こちらは裏稼業云々ではない。生理的に役人が苦手、だってなんか怖いし、威圧的だし、というのが主な理由である。
「待てコラ!ロシエール!逃げんのかよっ!決闘だ!今からテメェを……うおああごめんなさい呼ばないで!憲兵呼ばないで!」
そそくさと店を後にする魔法使いと弟子に気づいたアドルカンは慌てて叫ぼうとしたが、店主が非常を知らせる発煙筒を取り出したので中断せざるを得なかった。

「ああ怖かった…」
「あなたがビビる必要ないと思うんですけど」
「ばかー、憲兵怖いでしょ!僕、万引きしてないのに万引き疑われたことあるんだから」
魔法使いと弟子は目抜通りから逸れた、シヴァークの裏通り・通称裏シヴァまで逃げてきた。表通りのお洒落さと対局にあるかのような妖しげな露天商たちを眺めながらとろとろ歩く。
たった1000ベリトの整形手術でゴブリンに!
と掲げた小さなテント。
絶望を快感に変える薬売ります…5000ベリト
と書いた看板を首に下げ、細い路地から手招きする男。
その他、虫の死体を並べて売る女、明らかに呪われた道具ばかり売っている武器屋、売れない芸術家、暗黒舞踏家などがひしめき合っている。
その中で魔法使いの目を惹いたのは、アコーディオンを演奏しながら幻獣コカトリスにダンスを踊らせている大道芸人だった。

ヴァージニア わたしのいとしいヴァージニア
お前は一体 何処へいってしまったのか
わたしをおいて
ヴァージニア

眼帯をした大道芸人の男の哀切を含んだ歌声にあわせて、鶏の体に蛇の尾を持つ幻獣が激しく不思議な踊りを踊る。
「いい歌ですね。すごく」
魔法使いが話しかけると、男は静かに微笑んで
「探しているんだ」
と言った。
「私は猛獣使いでね。小さな獣の頃から育ててきたのに、ある日突然、ヴァージニアは檻から逃げてしまった。絆が弱かったのかな…猛獣使い失格さ」
「人間の気持ちもわかんないものですからね…動物ならなおさらですよ…」
魔法使いは何となく、花売りの事を思い出し、同情するような気持ちで男のアコーディオンケースに1000ベリトを落とした。
「聴いてくれた人にあげているんだ」
男は、記念にと安物の小さな青いペンダントを寄越した。
「ありがとう。あなたの歌、素晴らしいです。ぞくぞくしました」

またそんな事で散財して、とルシルにたしなめられつつ立ち去った魔法使いの背後で、大道芸人は再び曲を奏で始めた。

ラ ラララライ
亜麻色の髪の毛に
緑の櫛巻きラライラ…

「あれ、この歌どこかで…」
何となく聴いたことがあるような気がして、魔法使いは記憶を辿ってみようとしたが、「大人は汚いぜオーイエイ俺たちは堕天使」と歌う下手くそな若い吟遊詩人のギターにかき消されて、その歌はすぐに聞こえなくなってしまった。
魔法使いは、猛獣使いの大道芸人から貰ったペンダントを、花売りにあげることにした。
お姉さんにあげたら食べるかもしれないけど、まあいいか、それでも
などと歩きながら考え、石段に躓いて転んだ。

第16話 お題:復讐

何とか憲兵とのごたごたを切り抜けたアドルカンは、埃まみれの酒場で蒸留酒をあおっていた。魔法ではどうにもならない苦しさは、アルコールでも紛れることはなかった。
昼間見た、おそらく何不自由ないロシエールの、のほほんとした態度が、アドルカンの憎悪をどうしようもなく掻き立てる。思い出したくない学生時代の記憶が心を支配し、締め付けていた。

魔法学校の卒業式の直後、15歳のアドルカンはロシエールに決闘を申し込んだ。これが最後の名誉回復のチャンスだと思った。他の学生たちが息を詰めて成り行きを見守る中、同じく15のロシエールは俯いて卒業証書の羊皮紙を丸めながら、
「そんなのやりたくない」
と言った。
「怖じ気づいたのかよ!負けるのが怖いのか?」
と挑発してやると、ロシエールは、口をとがらせてこう答えた。
「ぼく目立つのやなんだ」
その言葉にアドルカンは、ひどく傷付いた。むしろ、ふんぞり返って、自分から奪い取った栄光を堪能していてくれた方がましだった。奪ったくせに、手に入れたそれに興味がない、とは何事か。ロシエールの態度に、アドルカンのプライドは最悪の形で踏みにじられたのである。少なくとも、アドルカン自身はそう感じた。
「うるさい!いくぞっ!…ヘカス・ヘカス・月霊よ、我が呼びかけに応じ…」

アドルカンは10年前の決闘の結末を思い出し、嗚咽を漏らした。

ワアアアーッ!
だ、誰か職員室行って先生呼んでこい!はやくっ!
先生ぇええガスパールくんが大量の蜂蜜とでっかいブルーシートみたいなやつと、あとなんか…えっと、よく判らないけどとにかく大変なことになっちゃってまぁああす!
なんだって…うわっギャアアア蟻が……

「…ううっ…ちくしょう…復讐だ…復讐してやる…ロシエール…」
アドルカンは鼻をすすりながら串揚げをかじっていたが、やがて血走った目をして指を鳴らし、空中から銀水晶の玉を取り出すと、魔力を注いで憎き魔法使いの姿を映し出した。

「……らっ」
魔法使い(の上半身)が懐から取り出した青いペンダントを、花売りはばっくりと口を開けて見つめていた。正直、こんなに興味を持ってもらえると思っていなかった魔法使いは、まっぷたつになった体をいそいそとくっつけながら、嬉しげに喋り出し、
「あっ…なんかこれ、大道芸やってて、音楽がすごいよくて、それであの、聴いてたら、もらえたんです。きれいですよね、あの、こうゆうアンティークなの僕も結構好きで……あの……」
花売りが全然聞いてないことに気づくと途中で口をつぐんだ。しかし、魔法使いは別にがっかりした訳ではない。口元が、にいっと歪んでいる。
そうかー、そんな気に入っちゃったのかー。えーなんか意外だなー。
まるで初めて猫じゃらしを見た時の猫のようにペンダントをガン見する花売りを、魔法使いはこの上なく幸せそうに眺めた後、ふと思いついて、ペンダントの鎖を左右に振ってみた。
あ、あ、あ!やっぱ追ってる追ってる!目で追ってるよこの人!猫だああ!猫だよお姉さーーん!
肩を震わせて笑いをこらえる魔法使い。と、次の瞬間、
「ごはんの時間じゃねええええーーーッ!!」
花売りは魔法使いの手もろともペンダントに噛みついた。
「ミギャアアアア!!いっ…たいたいたい!いたいお姉さん痛い!離…っ…ああああああーッ!」

泣き叫ぶ魔法使いの様子が、遠目に映し出された銀水晶を前に、酒場のアドルカンもまた、泣き叫んでいた。
「なああああーッ!?あのくそ野郎ォオ!こんな美人とイチャイチャしてんじゃね…ああああ゙あ゙俺なんてこないだふられ…ふられ…どちくしょーッ!死ね死ね死ねわああん!」
のたうち回るアドルカンの隣で静かに呑んでいた男性客は、迷惑そうに眉をひそめた後、席を立とうとして一瞬、動きを止めた。
男は、銀水晶に映る魔法使いと花売りの映像を、眼帯をしていない方の片目でしげしげと見つめ、そしてアドルカンの肩を叩いた。
「…君、ちょっと、尋ねたいことがあるんだが…いいかね?」
「あァ?」
アドルカンは赤く腫れた目を、男に向けた。

第17話 お題:蜘蛛の糸

扉を開けて屋敷に帰ってきた魔法使いのうなだれた様子を目にして、ルシルは師匠が花売りをディナーに招待するのをしくじった事を一瞬で悟った。
「力作だったんですがね」
弟子は食卓に並べた3人分の無駄に豪華な食事を眺めてため息をついた。
「…か…かまれた…お姉さんに…いたい…ルシル魔法薬とって」
魔法使いは見事にざっくりと貫通した歯形のついた左手をさすりながら嗚咽を漏らした。
「先生、まさか噛まれたくらいで諦めちゃったんじゃないでしょうね」
「ちがうよ噛まれたのはしょうがないんだ…いいんだ、それはさ…でもお姉さんなら、お姉さんなら食べ物には乗ってくると思ったのに…」

夕方、シヴァークの市場から帰った魔法使いは、花売りのもとへいそいそと出かけた。新品のマントもろとも真っ二つにされながらも花売りに大道芸人のペンダントを贈り、ペンダントごと手を噛まれてひとしきり泣き叫んだところで、魔法使いは、遂に本題をきり出したのだった。
「あ、あのー…お腹…すいてるんですか?」
「あァ!?ふつうだいたいいつもすいてんだろっ!」
言った後、花売りは、粉々に噛み砕かれて青い砂と化したペンダントを、ぶべーっと吹き出して魔法使いの顔にかけた。まん丸く開いた目からして怒っている訳ではないようだった。少し安心した魔法使いは、よく顔を拭ってから、ちょっと真面目な調子で告げた。
「よかったら僕の家でディナーを、ご馳走させていただけませんか」
「ディナーてなに!」
「晩ごはんです。昼間、市場に行ったら、珍しい食材とか結構あったので…僕の弟子が色々、凝った料理を用意してくれています…肉とか、」
「肉っ!!」
花売りの目が一瞬輝く。魔法使いは、あ。いけそう、これいけそう!その時はそう思った。

「いや…それはいけると思って当然です。誰だってそう思います。私だってそう思う」
ルシルは尋常なく細やかな人魚の形に飾り切りしたフルーツを頬張りながら口を挟んだ。
「でしょ?…ところがさ、」
ビガール海老の南エトランゼ風ムニエル・マスカドーレソース仕立て、を食べる手を止めずに、魔法使いは話を続ける。

「にく好きだよ!」
言った後花売りは、ほんの少しだけ、空気の匂いを嗅ぐように上を向いた。
うんうん、肉すきだよね、きっとそうだと思ったんだ。
だが、そう思った魔法使いの期待はあっさりと裏切られた。
「でもいかない!」
「…え?」
魔法使いは、唐突に翻った花売りの態度に困惑し、泣きそうな表情を隠すことすらできなかった。
「…どうして…?」
すると花売りは、
「だって今日蜘蛛の巣喰う日だから!あそこいって蜘蛛の巣喰うから!そんな事も知らねえのお前ッ!」
例によって訳の分からない受け答え。
急速に心がしぼんでゆき、体まで崩れ去ってしまいそうになるのを堪えて、魔法使いはかすれた声を絞り出した。
「…そ…ですか…じゃあ…仕方ないですよね……うん…わかりました…あの…ごめんね…なんか、浮かれたこと言っ…」
ああ、この人、もしかしたら、僕を嫌ってるかも知れない。どうしようキモいとか思ってたら、
魔法使いは頭に浮かんだ自らの考えに、深く傷つく。
いやいやネガティブいくない。そんな親しくもない僕なんかにいきなり一緒にごはん食べようとか言われたら困るよね普通断るよね
うん普通普通、だいじょぶしってたしってた、うん…全然、へい、き…
必死で明るく考えようとしたが、あまりうまくいかなかった。
「じゃあ…あの…おやすみなさい…お姉さん……」
やっとのこと挨拶を絞り出し、とぼとぼと立ち去る魔法使いの背中に、花売りが怒鳴った。
「おい!魔法使いッ!」
魔法使いは驚いて振り返る。
「な…なんですか?」
すっかり暗くなった崖の上に、花売りの、微かにハスキーな音色を持つ不思議な声が反響した。

「ばいばい!」


「ルシル…あれは、やっぱり、もう僕に会いたくないってことだったのかな…ううっ…何だかもうわかんない…どうしたらいいんだろ…ルシル、僕ってもしかして女の子から見て結構キモい?」
人参柄のパジャマにナイトキャップ、寝る準備は整っているのにも関わらず、いつまでも暖炉のある部屋でくよくよして寝室に行かない魔法使いに舌打ちをしながらもルシルは、ココアを手渡してやった。
「そう気を落とさないで下さい。先生は背も高いんですから堂々としてれば格好いい(はず)ですよ。いいですか、女の子の気分なんてのは秒刻みで変わるんです。その発言にもきっと大した意味はないですよ」
「そうかなぁ」
「そうですよいいから早く寝てよ灯り消せないから」

けれど、その夜魔法使いはどうしても眠ることができなかった。

第18話 お題:金貨3枚

酒場で声をかけてきた眼帯の男を連れ、アドルカンは切り立った崖の上にやってきていた。
「昨日、君が水晶に映していたのは確かにここか?」
吹きっさらしの赤い地面に所々貧弱な草の生える風景を眺め回してそう訊ねた眼帯の男を、アドルカンは睨みつけた。
「馬鹿にしてんのか?俺の魔法は絶対だ。あのクソ野郎と女が昨夜ここに居たのは間違いねえんだよ」
「くそ野郎…ああ、あの一緒にいた男か。何者だ?彼は」
男の言葉に、アドルカンは訝しげに眉をひそめた。
水晶の場所に案内してくれたら金貨3枚出す、と持ちかけられ、酔っていたせいもあって言うとおりにしてしまったアドルカンだったが、男を信用していた訳ではない。
右目に黒い眼帯。40代前後の痩せた男だが、物腰から妙に剣呑な雰囲気が漂っている。アドルカンはサーベルのような形の魔法杖をいつでも抜けるようにして、眼帯の男に殺気を含んだ視線を飛ばした。
「ユリウス=(クソ)=ロシエールは魔法使いだ。しゃくに障る話だが、魔法をかじってる奴ならあいつの名を知らねえって事はねえだろうが。てめえこそ、何者なんだ。おい、魔法使いが魔法使いであることを黙ってるってのは、女が足に隠すナイフと同じでな、頭に来るんだよ」
男は黒いトランクを地面に置くと、両手を広げて薄く笑った。
「私が魔法使いだと言うのかね」
「絶対だ。俺の目玉は魔法使いとそうでない者を見分ける。答えろ。てめえは何者だ」
「なるほど…君はなかなか優秀な魔法使いだな」
男はマイペースな声で呟きながらトランクを開け、中をごそごそやり始めた。
「ふざけんなテメエ。質問に答えろ」
首筋に突きつけられたアドルカンの杖を全く意に介さず、男は、上部に逆向きの傘のようなものがくっついた薬瓶を取り出すと、中の薬液を周囲に振り撒いた。薬液は白煙となって空気中に散り、その後だんだん緑色に変化し始めた。
「ふん…錬金術師かよ」
アドルカンの口から舌打ちにも似た言葉が漏れた。大概の魔法使いは、錬金術師を蔑んでいる。魔力の弱さを他の物で補おうとする半端者、と見なしているからだ。男はアドルカンのその目つきを気にする様子もなく、薄汚れた手袋の手を差し出す。
「…ギュンター=バウムガルド。錬金術師だ。ここ数十年の魔法業界の事は知らない。事情があって、一線を離れていた」
「…は」
アドルカンは絶句した。錬金術師ギュンター=バウムガルド卿の名前はアドルカンも聞いたことがあった。全体にインチキの多い錬金術師の中で数少ない"本物"と謳われた伝説的人物である。ただしそれは百年前の伝説だった。
「嘘だろ…生きてりゃ150は越してるはずだ…あんた30代にすら見えるぜ」
「どうも」
ギュンターは興味なさげに会釈をすると、
「…しかし困ったな。来るのが12時間44分遅かったようだ。君、例の"くそ野郎"氏の家は知っているかね?」
別の薬瓶を開け、中身を飲み干した。見る見るうちに錬金術師の身体は若々しくなり、更に身なりまでも溶け出すように別のものへと形を変えていった。
「ああ若さって素晴らしいな…そうだ、君、少し手伝ってくれ。金は後でいくらでも手に入る。好きなだけやろう」
20歳前後の貴族の召使い、といった風貌になったギュンターは眼帯を外すと、目玉のない穴の中に翡翠色の義眼をはめ込み、アドルカンにつまらなそうな笑顔を向けた。アドルカンの目の周りが軽く痙攣する。
「…なめんな。俺は物乞いじゃねえ、魔法使いだ。金で簡単に言いなりにできると思ってんのか。テメエは気にいらねぇんだよ。伝説の錬金術師だろうが何だろうがな、俺を侮辱する奴は殺すまでだ」
黒髪の魔術師に杖を突きつけられた錬金術師は、無抵抗に両手を上げながらも、気味の悪い笑顔を貼り付けたまま。
「いや、申し訳ない。場合によっては"くそ野郎"氏を消さなきゃならないのでね。君のような優秀な魔法使いの力を借りたかったんだが…諦めて他の助手を探すことにするよ」
「何だと…」
錬金術師の予想通りアドルカンの顔色がサッと変わった。
「爺ィお前…隠居してたから知らねえんだろう。いいか、教えてやる。ロシエールをブチ殺せるだけの実力のある魔法使いは、この世に俺以外存在しねえ!絶対だ!」
それを聞いた錬金術師は、素晴らしいな、と、少しだが今度は本当に笑った。

第19話 お題:来訪者

「どなたですか」
ルシルが扉を開けると、小綺麗な身なりの若者が立っていた。
「突然お伺いしてしまった非礼を深くお詫びいたします。私、西エトランゼ大陸に位置しますリベルテ王国より参りました、ドロッセルマイヤー侯爵の使いの者でございまして…」
御者に扮したアドルカンは、少し離れた所から会話を聞いていた。若い召使いに化けた錬金術師のカフスボタンには魔力で細工がしてあって、アドルカンの手元のオルゴールに似た箱型物体に音声が送信されるようになっている。
オルゴール物体は、喋った相手の嘘を感知するという奇妙な機能を備えていた。無論、言うまでもなく錬金術師の自作機械である。アドルカンの仕事は、このオルゴールを監視して、魔法使い、若しくはその弟子の台詞に"嘘をついている"という反応が出たら、錬金術師に報告するというものだった。
「何で俺がそんな事しなきゃなんねーんだよッ!ロシエールぶっ殺すんじゃねえのかよ!」
と抗議したのだが、錬金術師が飄々と
「まあ、ちょっと複雑な装置だからな…扱いが難しいというのは確かだ。できないのなら、それはそれで構わないよ」
などとのたまうので、
「爺ィずらしてんじゃねェエ!できねえとは言ってねえだろうが!貸せよ、やってやるよ!」
アドルカンは後に引けなくなってしまったのである。
「赤か青の石が光るって、めちゃくちゃ簡単じゃねーか…死ねよクソー」
ブツブツ言いながら魔法使いの屋敷の外で会話を盗聴する。若い召使いに化けた錬金術師の台詞の全てに、赤い石、嘘を示す反応が出ている。得体の知れない錬金術師が一体、何を探ろうとしているのか、アドルカンには見当もつかなかった。

「えーと…先生は、あの…今ちょっと手が離せなくて…すみません、ちょっと待ってて下さい」
扉から顔を出したルシルがそう言った瞬間、錬金術師の耳だけに、アドルカンの声が囁いた。
おい、今の嘘だぜ爺ィ。
錬金術師は、ふうん、と目を細める。
いきなり嘘で対応とは、侮れないな、こちらの様子を伺っているのかもしれない…。
錬金術師は少し警戒したが、その時実際に屋敷内で繰り広げられていた光景は、警戒するだけ無駄なものであった。

「先っ生!!!お客ですってばああ!頼むから起きてくださいよ!」
「…ううん…い…やだ…まだねる…」
「ファックオフ!!」
「ギャアアア寒っ!死ぬ…死ぬ死ぬ!!鬼ィ!」
無理やり布団を剥がされ、泣き叫ぶ魔法使いを弟子は完全に無視し、エルフの血統を生かした軽やかなフットワークであっという間に客間を掃除し、紅茶を淹れ、紅茶に落とすジャムを用意して扉を開けた。
「すみませんお待たせしました。どうぞ」
「失礼いたしま……」
屋敷内に通され、魔法使いの姿を目にした瞬間、150年生きてきた錬金術師も、さすがに驚いた。
なんだと…
世界一の魔法使いユリウス=ロシエールは、枕を持ったまま、人参柄のパジャマとナイトキャップ姿で客の前に現れたのだった。
「うーん…ルシル…ごはんまだ?」
完全に寝ぼけている。
「ばばばかーーー!紅茶淹れてる間に着替えとくだろ普通!!!」
泣き叫んだ弟子の声に青い石が反応した。

第20話 お題:ペルソナ

魔法使いは錬金術師の話を半分眠りながら聞いていた。錬金術師が懐から取り出した絵を目にして、漸く夢の世界から抜け出したようだった。
「うん…?これお姉さんじゃん…何で持ってるんですかこんなの」
ルシルがイラッと口を挟む。
「あなた今まで何聞いてたんですか先生。こちらの方が執事をなさっている伯爵家のご主人が、行方不明のご令嬢を探してらしてですね!それが花売りさんに似てるんで、もしや、って話なんですよ!…も~…恥ずかしい……本当に恥ずかしい……」
「え、なっ…そんな怒んなくたっていいじゃない…なるほどそうですかぁ…」
魔法使いは、髪をおろした花売りにしか見えないその小さな古い絵をしげしげと見つめた。
「んん~似てますけど、違うんじゃないですか?お姉さんどー見ても伯爵ご令嬢って感じじゃないし」
錬金術師は巧みに深刻な表情を作りあげ、顔中に貼り付けた。
「ですがお嬢様は記憶を喪失なされている可能性もあります…だんな様の為にも、可能性があればぜひ確認をしたいのです。ロシエール様はその方とご親交があるとお聞きしました。できたらご所在を教えていただけたらと思いまして…」
演出で言葉の余韻を残した後、錬金術師はジャムを落とさない紅茶をほんの少し啜って喉を鳴らした。魔法使いは視線を落として記憶に浸るような忍び笑いを漏らし、
「てゆか所在ったってあの人いつも、がけ、ごっばぁあああ!」
喋りかけていきなり紅茶を吐いた。すました顔で雑巾を手渡しながらルシルが勝手に先を続ける。
「いつも同じところには居ないですからね、あの人。ちょっと得体が知れないところがある人ですから…ねえ、先生。大丈夫ですか?紅茶はゆっくり飲むものですよ」
「…うう……ちょっ…ま…じ…で……」
錬金術師はヨダレを流して微かに震える魔法使いを観察しながら目を眇めた。
爺ィ…今、弟子が嘘をついたぜ。
アドルカンの囁きに、錬金術師は心の中だけで頷く。
ロシエールはともかくクォーターエルフの坊やは、要注意だな。
もう一度紅茶を啜ってから錬金術師は丁寧に礼を述べ、こちらで探してみる事にします、何かわかったら連絡を、と告げて偽の連絡先を書いた紙を渡して魔法使いの屋敷を後にした。

扉の閉まる音が完全に消えてから、魔法使いは半泣きで抗議の叫びをあげた。
「いったいよルシル!お前のつねりメチャクチャ痛いんだって!つねったあとひねるとか、なくない?僕、いちおう師匠なんですよ?あとこぼした紅茶、雑巾で拭かないでよ、パジャマ臭くなるでしょっ!」
「だってあなたあんまり素直に答えすぎだ!もし本当にご令嬢だったらあの人花売りさんを国に連れて帰っちゃいますよ!いいんですか!?」
「……!!!」
逆ギレしたルシルは、放心する師匠を放って、錬金術師の出て行った扉を見つめ、訝しげに呟いた。
「…それにあの召使い、変です」
「な、なにが?」
「若者なのに紅茶にジャム入れないんですもん…あと飲み方がどことなくうちのおじいちゃんに似てた」
「嘘!それ見逃した!」
魔法使いは見逃した。
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